藤田まこと 名人・名言集
藤田まこと(ふじた まこと)
生誕:1933年4月13日
出身: 東京府東京市(現:東京都)豊島区池袋生まれ、京都府京都市育ち
俳優、歌手
京都市立堀川高等学校中退。
血液型はAB型。身長173cm。
死去:2010年2月17日
父は俳優の藤間林太郎。次女は『必殺仕事人V』『必殺橋掛人』の主題歌「さよならさざんか」を歌った藤田絵美子(現:EMIKO)。孫(長女・敬子の娘)は歌手の花リーナ。大正三美人の一人林きむ子は父の異父姉で伯母に当たる。曾我廼家喜劇の女形だった曾我廼家弁天は父の異父兄で伯父に当たる。
オフィス斉藤所属。過去には渡辺プロダクション、ごく一時期には吉本興業、その後は新演技座(個人事務所)に所属していた。2002年に紫綬褒章を受章。
1940年代後半、林太郎が所属していた一座に雑用係として参加するようになり、他の一座の巡業にも参加するようになった。17歳の時に歌謡ショーの一座の公演で「旅笠道中」を歌ったのが藤田の初舞台で、やがて舞台俳優としても活動するようになった。「藤田まこと」の芸名を名乗るようになったのはこの時期である。舞台俳優からキャリアをスタートさせたことから、藤田は「映画俳優を含め、舞台に上がっていない芸人は芸人ではない」という考えを持っていた。
10代の終わりに歌手を志して上京し、ディック・ミネのカバン持ちをしながら前座の歌手として活動した。1年ほどで大阪へ戻り、日本マーキュリーレコードでアルバイトとして働きながら歌手としての修業を積んだ。藤田は日本マーキュリーレコード所属の歌手の地方巡業に前座歌手として参加したが、ある時病気になった司会者の代役を務めたのをきっかけに、巡業の司会者としても活動するようになった。司会者時代に最も印象に残っている歌手は東海林太郎で、癌の手術を受けた直後で体調が悪かったにもかかわらず、客の入り悪い冬の公演を一切手を抜かずにこなした姿に感銘を受けた。後に東海林の生涯を芝居にしたいと考えた藤田は、1981年10月から1982年3月にかけて東京・大阪・名古屋で『東海林太郎物語・歌こそ我が命』を上演し、1984年に文化庁芸術祭優秀賞を受賞した。
藤田は中田ダイマル・ラケットの助言を受けて司会の仕事をやめ、俳優として中田ダイマル率いる「ダイマル・ラケット劇団」に入団。藤田曰く当時の大阪では俳優とコメディアンの区別がなく、「役者志望の見習いコメディアン」として活動した。1957年、コメディー時代劇『ダイラケのびっくり捕物帖』で初めてテレビ番組に出演。藤田が演じたのは縁側に座っているだけの与力の役で、藤田によると「なにがなんやらわからんうちにはじまって、終わってしもた」。1961年、『笑いの王国』で生放送のCM(亜細亜製薬「強力ベルベ」)に出演。水戸黄門、西郷隆盛、丹下左膳など知名度の高い人物に扮したことが人気を博した。藤田曰く、この頃に初めて街で視聴者から声をかけられるようになった。
いま、パンツ一丁で出てる芸人さんがいるけど、僕もああいう芸人でした
★ 芸能界というのは、今日はあるけど明日はないような世界です
★ “必殺(仕置人)”では鍛えられましたな(笑)
★ 端役でもちゃんと舞台で芝居がしたいと思ったんですな
★ 世の中に仕事人なんてのはいないんですよ。『必殺』は、夢の世界ですから。「チャララー♪」と流れたら、夢の世界
★ 長年裏稼業をやってても、姑さんも嫁さんも全然気がつかないのが仕事人ですからね。未来永劫、バレちゃいけないんです。バレたときは、『必殺』はおしまいです
★ 僕は貧乏人だったし、かみさんも小さいころに親を亡くして同じような境遇で育ってきた。だから(3人の)子供たちにはそんな思いをさせたくないとやってきた。子供たちのためにも頑張ろうとね
★ 僕は平均して合格点の視聴率がとれる俳優なんです。景気がいいときは、視聴率にかげりが出てくると、テレビ局は金をかけて視聴率の稼げる番組を新しくつくろうとするけれど、景気が悪いと、そんな冒険ができない。手堅い僕の続投となるんです
★ 仕事がなくなったんです。ディレクターに言われた通りにやっていただけで、自分で何もできなかった
★ レストランにカミさんと入ろうとしたら、威勢のいい兄ちゃん2人が従業員を怒鳴りつけているんです。でも、僕の顔を見た若い方が先輩格に耳打ちして、2人とも下を向いて出ていった。刑事と思ったんでしょう
★ (「はぐれ刑事純情派」の人気について)人を愛する心、信じる心をテーマに、1作ごとにみんなで戦いながらつくってきたからでしょう
★ 戦争は人を殺し合うこと。日本は憲法で戦争を放棄したんですから、戦争にかかわることがあってはならない
★ 公演中に、劇場に圧力団体から電話があったそうです。(イラクへの自衛隊派遣反対運動を)やめさせろと。でも、僕はやめませんでした
★ 僕は戦争がトラウマになっている。新聞でも『戦争』の2文字が目に入っただけで、もうそれ以上は読みたくなくなるんです
★ 「道の真ん中を歩くのはお客さん。芸人は道の脇を歩け。道の真ん中はお客さんが歩くところだ」私は、それ(その父の言葉)は今だに守っています
★ あたり前田のクラッカー
★ 芸人は夢を売る商売。派手に遊ばな
★ 恥ずかしながら一生芸人です
★ 芝居も育っていかなくちゃ。生まれたまんまじゃ面白くない
★ 役者は権威と箔がついたら終わり
★ 後ろは振り返らない。前に進めなくなっちゃうから
★ 周囲に恵まれたことはもちろんですが、逃げなかったこと、ひかなかったこと。そして「だらだらと芸の坂道」をあがってきたこと。平坦な道は歩いたことはないし、70歳を超えた今でも、坂道をあがり続けています
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