桂由美 名人・名言集
桂由美(かつら ゆみ)
本名:結城由美
生年月日:1932年4月24日
出身・東京都
ブライダルファッションデザイナー
株式会社ユミカツラインターナショナル社長、株式会社桂由美ウエディングシステム社長、一般社団法人全日本ブライダル協会会長、全米ブライダルコンサルタント協会名誉会員、アジアブライダル協会連合会会長、NPO法人地域活性化支援センター理事、アジア・クチュール協会創立メンバー。
父は旧郵政省の官吏、母は洋裁学校(現在の東京文化デザイン専門学校)を立ち上げた人物で長女である由美を跡継ぎとしたかった。幼少期はおとぎ話や絵本が好きで、戦時中でも白馬の王子様や美しいお城が現れる世界が頭の中を占めていたという。共立女子中学校・高等学校を経て、母の意向で共立女子大学家政学部被服学科に入学するも浴衣も縫えないほど縫製が苦手だった。また、共立女子学園では軍国少女が海軍派と陸軍派に分かれており、桂は海軍派のリーダーであった。特攻隊員に憧れ、「私たち女性も飛行機に乗れるようにして下さい。特攻隊は男だけではありません。」という血書を書いて海軍省に送ったこともあったという。在学中は学生委員を務め、当時の学長・鳩山薫(鳩山一郎の妻)との接点も多く選挙の手伝いもした。また、子供の頃から好きだった演劇部の部長も務めるなど、一時期演劇にのめりこむが才能の限界を感じるようになり(大学1年のとき文学座の研究生となり1年過ごした。俳優ではなくプロデューサー志望だった。)芥川比呂志の言葉もあって大学で学び続けることを決意。やがてファッション業界に身を置く決心を固める。大学後半は文化服装学院の夜間部にも通っていた。大学を卒業後、パリに1年留学。クチュール技術を学ぶ。帰国後は母が経営する洋裁学校で教鞭をとる。その中で「日本ではまだ誰もやっていない婚礼衣装をやろう」と決意。学生の卒業制作にウェディングドレスを出し、生徒と共に生地探しを行っていた。1964年、日本初のウエディングドレス専門店をオープンしブライダルファッションデザイナーとして活動開始。1987年1月、パリにおいてグランドコレクションを挙行。1993年に、ローマ法王へ祭服を献上。3か月後の復活祭で着用される。
受賞歴
2019年 文化庁長官表彰
2023年 東京都港区名誉区民
オートクチュール的な存在は私を除いてもう他にはいないですから
★ プールで水に浸ってるといいアイディアが思いつく
★ お嫁さんが自分の妹だと思ってやってる。一生に一度だから失敗は許されない
★ 万年少女ってあだ名が付いてるの
★ マタニティドレスは作らないことにしてる。さりげない、目立たないもの。デザインであって、マタニティのために作らない
★ 日本独特のもの、日本の伝統から見出される美しさを、現代を生きる日本の女性の感性で大切に受け止め、表現し、世界へ羽ばたいていってほしいと願っています
★ 家庭といっても、夫婦に限らず、ご両親であっても親戚であっても、心の支えとなる家族の存在があってこそ、クリエーターとしてより力が発揮できると思うのです
★ 挑戦していく「未来志向」の仕事、これこそ私自身がデザインしなければならないと思っています
★ 振り返ると、手帳に記した一つひとつを実現してきたのが、私の人生なのだと思います。ブライダル協会を作る、ウエディング・プランナーを育てるなど、その後私が実現してきたことは、全部その手帳に書いてあったことなのです
★ ブライダル協会を作って全国に私の分身を作る
★ 和装婚がほとんどでウエディングドレスを着る方が3パーセントしかいなかった46年前の日本で、先を見越し、ウエディングドレス専門の事業を手がけた起業家(パイオニア)などと紹介されることが多いのですが、とんでもありません。その3パーセントの方々が気の毒で、何とか役に立ちたいと社会事業のつもりで始めたというのが本当のところです
★ 昨年LEDで光るドレスというものを発表したんですが、こういうものはたとえ売れなくても自分がやりたいことなんです
★ 新しく開発された素材などに触れる機会がある時に、この素材をこう使ったらどうなるだろうとイメージを膨らませていくことは多いです
★ パリには山ほどデザイナーがいるので、その中であえて私が何かをするなら、日本の伝統技術を活かしたものを作りたいと思い、友禅をやっているんです
★ ドレスによって女性が魔法のように綺麗になれたらといつも願っています
★ どうしても同じ業界にいると固定観念にとらわれてしまうところがあるので、その世界の外にある感覚を表現できるというのはいいことだと思います
★ 神田うのさんは、ブライダル業界に新しい風を吹き込んでくれたと思っています。特に初期のヒョウ柄のドレスはとてもインパクトがありました
★ (芸能人やモデルがプロデュースしたウェディングドレスについて)厳密に一着ずつ見ているわけではないですが、似かよった感じのものが多い気がするので、もう少し個性を出されるといいのになと思います
★ アーティストやデザイナーに年齢は関係なく、もっと精神的な部分を見てほしい思うんです
★ 常々私は「生涯現役」と言っているのですが、やはり好きな世界に自分を投入していると、それが長く続いていくのだと思っています
★ 有名になってビジネスを展開させていこうと思ったら、ブライダルを続けることは決して得なことではないけれど、それでもなぜ私がこの世界に特化しているのかというと、やはりそれは好きだということでしかないんです
★ 色々なファッションがある中でブライダルに特化するというのは、ビジネス的には損なことなんです
★ 私は、何よりもまず着る人のことを考えて作っているのですが、デザインをする段階では、誰が私のドレスを着るかはわからないので、こういう人に着てほしいということを想像するしかないんです
★ ブライダルには、結婚する人それぞれのストーリーやドラマがありますからね
★ ドレスデザイナー何人かと一緒に、結婚式はまずはドレスありきということを伝えていく運動をしているんです
★ 結婚する人を最高に美しく見せたい
★ 利益追求しなかったから、経営を50年も続けられた。10年も苦難の時期を過ごして、その間の自分には無給
★ 互いに仕事をしてきたからこそ、苦労や苦悩が共感でき、気兼ねなく相談しあえる。相手を敬愛すること――これこそ夫婦関係の礎になると実感する18年でした
★ 出会って3か月後のデートの時、「20年早く会いたかった」とプロポーズされ、結婚を決めました
★ 40代になって仕事が軌道に乗り、残りの人生を共にする相手がほしくなりました。それで見合いを始め、3人目に出会ったのが、彼(主人)でした
★ 結婚適齢期だった20代は、母が経営していた洋裁学校を手伝うのと、自分の夢であるブライダル事業の二足のわらじで、目が回るほどの忙しさ
★ 私は、ブライダルファッションデザイナーを一生続けていく覚悟でした
★ 多くのカップルの結婚式をお手伝いしてきましたが、私自身の結婚は42才の時
★ (大石参月を)ブライダル大使にしたい
★ お金をかけなくても、こんな素晴らしい結婚式ができますよって芸能界の人から見せてもらって(ほしい)。一般の人は真似をするから
★ 婚姻率が下がって、地味婚、ナシ婚…。もうお手上げよ
★ (自身へのウエディングドレスの依頼について)大石さんの前は(芸能界で)誰だったかと見てみたら、去年の2月のロンブーの(田村)淳さんだった
★ 芸能界の方を見て、一般の方も(挙式をしなくて)いいかなと思ってしまう。それが今の地味婚、ナシ婚に繋がってるんです
★ 「才能」とは英語でギフト、贈り物という意味があるように、『神がその人に与えた贈り物』です。しかし、「センス」は神からの贈り物ではありません
★ 世界基準の女になる
★ もしも、あなたが夢とほど遠い現実を生きているなら、それはチャンス。夢のパワーを自分の中に溜め込み、高めるための準備期間なのです。辛い現実の中で夢を抱き続けてきた私が言うのですから、間違いはありません
★ お客様のわがままからヒットの花が咲く
★ 落ち込んだときほど仕事に打ち込む
★ 「自分を磨く」とは、センスを磨くこと
★ 恋するように仕事をする
★ 宣伝費ゼロをアイデアでフォロー
★ 夢はお城のように ビジネスは岩のように
★ 行き詰まったら、自分で道をつくればいい
★ 夢と現実の間に橋をかける
★
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