竹下佳江 名人・名言集
竹下佳江(たけした よしえ) 生誕:1978年3月18日。出身:福岡県北九州市。 元女子プロバレーボール選手。 ニックネームはテン。
竹下佳江(たけした よしえ)は、日本のバレーボール選手であり、その後は指導者としても活躍しています。彼女のキャリアは非常に輝かしく、多くの成果を挙げてきました。
竹下は非常に早い段階からバレーボールを始め、その才能を開花させました。若い頃からの努力と熱意が実を結び、世界ユース選手権で優勝するなど、若くしてその才能を世界に示しました。NECレッドロケッツに入団後は、全日本代表にも選出され、国際舞台で活躍しました。
しかし、彼女がセッターとしての活躍を目指したシドニーオリンピックの最終予選での敗退は、彼女にとって大きな試練となりました。身長の制約からのバッシングに晒されながらも、彼女は再びバレーボールの舞台に立ち、チームや国のために戦いました。2006年の世界選手権でのMVP受賞など、その実力と精神力を証明し続けました。
引退後は、バレーボール界での指導者としての活動も行い、さらには日本バレーボール協会の理事にも就任しました。竹下佳江のバレーボールへの情熱と貢献は計り知れず、彼女の功績は日本のバレーボール界に深い足跡を残しています。
(アテネ五輪の出場権を獲得したときのことについて)やっとオリンピックの舞台に立てるという思いもあったし、出場権を獲れなかったときのメンバーに対しても、何かしらの思いは伝えられることができたと思いました
★ JTの当時の部長さんと、一柳昇監督が何度も何度も私の所に来て、「うちでやってくれないか」と。最初は「うん」とは言えなかったのですが、本当に何度も足を運んでいただいた。それで、たとえ少ない人数でも、自分を求めてくれる人の期待に応えられるようにしようと思いました。だから、おふたりには、自分が閉ざしていたものを開いてもらったという意味ですごく感謝しています
★ 私は、私のことを純粋に必要としてくれる場所があって、そこに戻ることができました
★ 初めて一人暮らしをしたので、新鮮でした。ハローワークにも通いました
★ 一度バレーから離れようというのが一番で、具体的なビジョンはなかったです。世の中の人がみんな敵に見えるし、人間不信になったので、離れて時間をおきたかった
★ シドニーのことがあってから2年経ってやめたのは、いろんな事情があったから。
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★チーム事情もあったので、自分だけではどうにもできない問題もあった。
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★このときの2年間は義務感だけでバレーをしていました。心には大きな傷を負っているのに、チームに迷惑をかけたくないからコートに立つ。
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★コートに立ったら勝たなくてはならない。苦しくてたまらなかった。オリンピックには未練がありましたけど、あのときは切り捨てるしかなかった
★ (シドニー五輪予選で女子バレー史上初の五輪不出場となってしまったことについて)とにかく周り中、みんなが敵に見えました
★ (骨折をして)私のトスがぶれることもありましたが、そんなトスをみんな必死で打ってくれた。そのことが私を励ましてくれました
★ 自分自身、本当に頑張ったと思います。いろんなことがありましたし、長い道のりだったなというところですかね
★ (メダルをとって)素直に嬉しいという気持ちが一番。でも、そのときのことを言葉で表現しろと言うのは難しいです。本当に、言葉にしたらそれだけになっちゃいますね
★ 現在NTC(ナショナルトレーニングセンター)などが、産休後の女性選手をバックアップするような取り組みをしていますし、そうなれば徐々に増えていくのではないかなと思っています
★ 私は妊娠中ですけれど、これから子供を産んで育てて、という時期に、監督が産休を取るわけにはなかなかいきませんよね
★ 今でも久光製薬の中田久美さんが監督をされていますし、他の競技でも女性の監督が何人かいますが、現段階では、やはり女性の指導者が監督になるにはいろいろなリスクがあると思います
★ 海外の選手はプロが多く、収入が違うということもあるのですが、ベビーシッターを雇ったりとか、契約内容にそういうものを入れてもらうということもできるようです。もちろん、子供を親に任せているという人もいます
★ 良品計画さんがすごいなと思うのは、女性にとても働きやすい職場だということ。
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★ノー残業とか、子どもがいる方は2時間は来なくていい制度があったりなどというのは、子育てをしてる女性の方にとってはすごくありがたいことだと思います
★ 壁にぶつかって苦しんでいる後輩がいても、ある程度までは声を掛けないようにしています。
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★すぐに助けてしまうと、いつでも助けてくれると思い、成長が止まってしまう。
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★どうしてもだめなときに、何かのきっかけを与えるくらいでいいと思います
★ 転機となったのは、それ(身長のハンデ)を長所に変えるためにどうするか、と思考を変えることができたことです。それに、苦しんだ分だけ人は成長できると思います
★ 私は159センチしかないので、バレーでは大きな弱点です。もちろん、そのことに悩んだ時期もありますし、周りから非難され、一時バレーから離れたこともあるほどです
★ 年齢が上がるにつれ「ぶれてはいけない」ということも心がけるようになりました
★ 私も年齢が上がるにつれ、若い子から答えを求められることが多くなりました。また、子供向けのバレーボール教室で教えていても、最初から答えを知りたがる子供が多いように思います。その際には、やはり自分で考えるよう仕向けることが大事だと考えています
★ 男性の監督が女性のチームを率いることになるので、男女の考え方の違いはありました
★ 監督が選手たちに納得がいかないことはどうしてもあります。ただ、選手は選手でまた違った考え方を持っているので、そこは監督にオブラートに包みながら話を持っていったりとか、タイミングを見て伝えたりしていました。幸い、聞き耳を持ってくれる監督が多かったですね
★ 私もやはりキャプテンとして、監督の言うことをそのままストレートに伝えることは絶対にありませんでした。妥協点を見つけながら、自分の言葉で伝えるようにしていましたね
★ 結果論かもしれませんが、やはりメダルを取った年はチームワークがよかった気がします。違いは、目標が明確だったかどうか。目標がしっかりしていれば、それに向かって走り続けることができますから
★ やはり体育会系なので、自然と先輩後輩の関係になりがちです。そこであえて自分がくだけた状態で接して心を開いてもらう一方、コートの中では絶対にそういう関係ではいけない。オンとオフの切り替えを意識していました
★ 本当にすごい個性を持った人の集まりでしたね。ただ、どんな人でもまずは「相手を認める」ことを心がけていました。一方で、自分を理解してもらうことも大事なので、そこをうまくつなぎ合わせるようにしていました
★ 私の現役中最後の監督である眞鍋政義監督は、周りをしっかり見て、まとめ上げることのできる、まさにセッター型の監督でした
★ 体育会系の組織には、どうしても独裁的リーダーが多いですよね
★ 難しいのは、むしろ点と点を合わせて打ちたい、勢いのあるトスを好む人もいること。コミュニケーションを取って相手に合わせていくことが、セッターには求められます
★ 私もまさにそんな「死んだトス」を突き詰めようとしてきました。いわば、アタックを打つ点がいくつも見えるようなトス。それなら、どこにどう打つかをアタッカーが自分で考えることができるからです
★ 松井(忠三)さんのご著書を読んでいると、私のやってきた「セッター」の考え方と通じるものがあり、ぜひお話をうかがいたいと思っていました
★ (アテネ五輪後)世界のチームがどんな練習をしているのか見てみたい。でも中国は別にいいや。どうしてか?絶対に勝ってやる、と思ってるからじゃないですか
★ 自分の限界を決めないで、もっともっと先に行けるんだって、自分の可能性を信じて頑張ってほしい
★ 厳しいこと言うと女子バレーって結果出てないのに取り上げてもらえてて、すごい甘い
★ 自分の気持ちを出さないとさ、相手に通じないじゃん。皆も分かんないんだよ
★ メダルのためなら指一本くれてやる
★ 必要とされることが一番の喜び
★ 復帰するならゼロからスタートしたかった
★ 真鍋(政義)監督になって、ずっとぶれずにやってきたことが最後、こういうメダルの形になった。本当によかったと思います。言葉で表現できない喜びです
★ 誰よりも苦い思いもたくさんしてきた。でもいろんな人の支えのおかげで今がある。本当に濃いバレー人生だった
★ やっぱバレーボールって結局 今までも、厳しい言い方したら結果出てないのに でもやっぱり採り上げてもらえててっていう
★ だってあたしアスリートですもん コートで結果出さないとダメでしょ
★ あたし思うのは、いつも思ってるのは テレビ…カメラを目の前にして言うのは何ですけど カメラの前で語る必要があるのかな…とか
★ いろんな仲間とバレーをして、成長させてもらった 周りに支えられて自分がいる 人の出会いに感謝です
★ 過去の栄光が分からない状態から、ここまで来られた。いろんなことがあって今の自分がある。すべてを出し切れたかなと思います。内容の濃いバレー人生でした
★ 私はチームの中の怖い存在でいい。そう思ってやっている
★ 苦しいことをやりきってきた人間って、こころの芯がしっかりしていると思うんですね
★ 練習はウソつかないと思うし、自分がやってきたことは絶対に裏切らない
★ 私はメンバーのレベルに合わせません
★ チャンスをどう自分のものに変えられるかっていうのは、それまでの過程がすごく大事
★ 誰よりもボールを触って練習してきた
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