小田和正 名人・名言集

小田和正(おだ かずまさ)は、日本のシンガーソングライターであり、元UNICORNのボーカル・ギタリストでもあります。彼は独特の歌詞とメロディ、心に響く歌声で知られています。
小田は1960年生まれで、大阪府で生まれました。彼の音楽キャリアは1980年代後半に始まり、UNICORNとしての活動が最初でした。UNICORNは人気のあるバンドで、小田はそのリーダーとして多くの楽曲を作曲し、ボーカルを務めました。
1993年にUNICORNが解散すると、小田はソロ活動を開始しました。彼は独自の音楽スタイルを追求し、多くのヒット曲を生み出しました。代表曲には「ラブ・ストーリーは突然に」「君住む街へ」「夏の終わりのハーモニー」「もう一度」などがあります。
小田の音楽は幅広い世代に支持され、彼の歌詞やメロディは多くの人々の心に深く響いています。彼の音楽は感情豊かであり、人生の喜びや悲しみを率直に表現しています。
受賞歴:1997年第14回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主題歌賞(『伝えたいことがあるんだ』)(ドラマ『最後の恋』主題歌)
聖光学院卒業後、須藤は横浜市立大学、小田は地主とともに東北大学に進学、建築学を専攻。同期には藤森照信がいる。聖光学院在学時に授業で建築模型を製作して以来建築に興味を抱いていた。また、千葉大学医学部を受験しようとも思ったが、大学見学の際に消毒臭・カーテンの汚さに嫌気がさし、東北大学を選んだという。鈴木は東京工業大学に進学、離ればなれとなったが、仙台と横浜をお互いに頻繁に行き来し、音楽活動も続けていた。後にグループは「ジ・オフ・コース」(後にオフコースと改名)と名付けられた。1969年、アマチュア音楽活動にけじめをつけるために「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に東北地区より出場。東京でなく東北から出場したのは東京ではレベルが高く、東北のほうが勝ち抜きやすそうだからと考えたためだが、実際に出場してみると東北地区も大変レベルが高かったという。それでも東北地区を1位で通過、全国大会に進出した。全国大会は赤い鳥、フォー・シンガーズ(財津和夫のいたグループ)ら強敵がいたが、小田曰く「寝ててもできるくらい」猛練習を重ね、自信をもって臨んだにもかかわらず、1位は赤い鳥、オフコースは2位だった。小田らは優勝して音楽活動にけじめをつけるつもりだったが、2位になったことで「このまま終われない」とプロの道を歩むことを決める。
しかし、鈴木は音楽一本に決めたが、地主は小田と鈴木の音楽性についていけず、建築家に進路を定めた。小田は東北大学大学院の受験に失敗し、1971年早稲田大学大学院に進学、建築の研究も続ける一方で鈴木との音楽活動も続けていた。その後徐々に気持ちは音楽に傾き、1976年大学院修了時は完全に音楽の道を選択することを決めていた。修士論文のタイトルは「建築との訣別」(ただし、審査の担当教授安東勝男に「私的建築論」とタイトルを変更させられている)。
オフコースは数度のメンバー変遷を経て1972年より小田、鈴木の2人構成、後に清水仁、大間ジロー、松尾一彦を加えた5人構成となる。数年間は売れない時代が続いたが、やがて、1970年代から1980年代にかけて次々とヒット曲を生み出し、時代を代表する人気グループとなった。オフコースが発表したシングルのA面のほとんどは小田の曲であり、そのシンプルで、ストレートに愛を歌う歌詞とハイトーンの澄んだボーカルはオフコースの大きな特色であった。オフコース時代のヒット曲には「さよなら」「Yes-No」「君が、嘘を、ついた」などがある。1982年にはオフコースのオリジナルメンバーである鈴木康博の脱退に伴い一度は解散も考えたが、約1年の活動休止を経て4人で活動再開、1989年まで活動した。オフコース時代の活動の詳細はオフコースの項参照。
(同年代以上のリスナーに対して)優しさなんて持っていない。むしろ蹴飛ばすくらいの感じで、もっと頑張ろうぜ!って
★ いい思い出を作る。人生はこれに尽きると思います。でも、いい思い出ばかりだと死ぬのが辛い。この辺りの兼ね合いが難しいのです
★ 周囲の人間に助けてもらうのはいいが、頼ってはダメ。頼ると周りの人間が離れて行く。自分の力でのたうち回っても頑張る
★ 行け!という気持ちで歌っているから聴いている人達に伝わっていると思う
★ 本番までは高いキーで歌わない
★ 理想を後回しにせず、いつも期待し、期待され、『やったね』といえる仕事をひとつひとつ積み重ねてゆきたいと思っています
★ 求めている理想が高いのかなあ。使い古した言葉と、誰でも考えるようなことが、ただそこに表現されているだけなら、別にあえて歌う必要もないし。
★かといって、奇をてらったようなことはしたくない。
★
★誰でもわかる、でもちょっと視点が違っていて、響きが色っぽい言葉。
★
★例えるなら、手紙を一生懸命書くような感じかな。相手に自分の言いたいことがちゃんと伝わる手紙をかくのって、けっこう大変でしょ。
★
★その上で、これまでの自分の曲をどう超えていくのか。毎回、戦いだよ
★ 歌詞には、ずっと苦しんでいるよ。たった2つ、しかも、目新しくもない単語(「そして僕は、」という単語)を書くのに、一日かかることだってある
★ (「緑の街」について)広義ではこのフェスと結びつくところはあっても、あれは恋愛の歌だし、それをここに持ってくるのは行間があり過ぎるのかな、 という想いもあったから、もう一回、自分でもあの曲を聞き直してみたりもしたんだけどね。 でもさっき、歌う前の櫻井君のMCと、実際に彼が歌っているのを聴いて、“あ-、そういうことね”って納得したんだ。 “僕はここで待っているから”という歌詞が、来年への想いにもなってるんだなってね。また別の意味合いの歌に聴こえたね
★ もう、ギリギリでヘトヘトだと、“還暦、走る”みたいなに言われるんだろうな。 歌いながら走って、その後も別に平気で居れば、歳なんか見てる人は忘れると思うんだよ。 “ところであの人、幾つだっけ?”っていう、そこまで頑張れるかどうかじゃないかな
★ 本来ライヴ・パフォ-マンスに走るなんていうのは含まれてないわけで、どっかで俺が勘違いしちゃったままなのかもしれないけど、 でも走るってるとこを見るという高揚感は、他の何にも換えがたいものでもあるんだよな。あと、跳ぶ、とか…。 宮崎駿の映画にしても、気がついたときは跳んでるじゃない? 走るとか跳ぶとか、それを見た時、ヒトは解放されるんだろうし、 だから俺も走るんだろうしね。もう、訳もなく…。なので今日やったみたいなステ-ジから飛び降りるというのも、 それを見てもらって解放してもらうためなんだよ。そのためには、人間の持ってる機能は全部使う、ということで
★ 実はapの初日にASKAが出て、アイツが先にやった(客席に飛び降りた)みたいなんだよ。「(先に)飛び降りました」って、 スタッフ経由で伝言があった(笑)。それ聞いたら、こっちはもっと派手にやらないといけないじゃない? ASKAは最前列のとこ下りたそうだから、俺はもっと遠くまで行くしかないな、ということで、通路を走ろうと思ったんだよ。 でもダメだったね。みんなの手が出てきちゃって、あれ以上やると危険だしね。apなんだから、 俺のファンてわけでもないんだし、“行かせろよ”って思ったんだけどさ
★ apなんか特にそうだけど、小林(武史)君や櫻井(和寿)君という、彼らの“顔が見える”から。 このあと出演する“情熱大陸”にしても、葉加瀬太郎くんが僕のコンサ-トに来てくれて、楽屋で会って、 その時、ちゃんと彼の顔が見えたしさ。“あ-、こういうことやりたいんだろうな”っていうのがね。 くるりのやってる“京都音楽博覧会”にしても同じだし。まぁ、それが“出てもいい基準”とまでは言わないけど、 “そうか、俺はコイツとやるんだな”という想いが在るか無いかは、大切なことだと思うね
★ やってる(フェスに参加している)ヤツの顔が見えないものに出掛けていっても、 誰と握手して帰ってくればいいのか分からないし、出演者たちも単なる“顔集め”だとしたら、 “お-、どうもどうも”って、誰に挨拶して帰って来ればいいのかも分からない。それでは出掛けていっても楽しくないし、 想い出にもならないだろうなっていうのはあったな
★ 自分の中では「57歳」ということは、あまり自覚していない。57歳だな~って思った時に、こんなことやってていいのかな?って思うことの連続で
★ ソロになってから2年目で「ラブストーリーは突然に」がヒットしその時に、こんなに早い時期に売れたら、あとがないと思い。自分の昔からの仲間も売れたら、そのあと、すぐポシャッた人が多くてそんなふうになりたくないって思って頑張ってきた
★ (交通事故後の復活時に)心配かけました。反省してます。みんなの心が、とても嬉しかったです
★ 最初にCMでも流れてるのところが浮かんで、そのまます-っと書けるかと思ったら、えらい手こずっちゃった曲なんだよ。
★
★歳を取れば迷わないのかと思ったら、逆だな。言い訳としては、引き出しが増えた、とも言えるけど(笑)。
★
★ただ、出来上がってみると手こずったわりにシンプルな曲になった。
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★Aメロのあと、いきなりサビとか行くし。“たしかなこと”を越えたかどうかは、自分では分からないけど
★ タイアップがあればこそ書けた、というのは確かにあって、でも“mata-ne”に関しては、ネイザンとタイアップしちゃった感じだよ。彼とはこっちに来た時には食事したりするけど、俺の曲で好きなのは“たしかなこと”だって言ってたのを覚えてて、そんなこと思いだしつつ曲を書いて送ったら、すごく喜んでくれてね。詞は新たに自分で歌うということで書いたんだけど
★ 『小田日和』というタイトルに関しては、ひたすらって自分の作品性で押し通していく感じでもなかったので、“ちょっとトボけたもののほうがいいな”って思ってたのもあってね。依頼されなかったら書かなかった曲もあるし、だから自分の作品ではあるけどそのままではなくどこかというか、そんな俺の曲を、ふと聴きたいなぁと思ってくれる日、それがまさに っていうか、今回はそんなアルバムの届け方がいいんじゃないかって思ってこのタイトルにしたんだよ
★ (小田日和について)今回は、最後から二番目のアルバムを作るような気持ちで臨みたい
★ カップリングでそれこそラップをやってみたり、ポップでない曲を思いつきでいいからやってもいいかなと思ったね。でも、訳のわかんない前衛的なことはやらないだろうけど。そういうことができるのはカップリングだからね
★ 語りも最後までどのくらいのトーンでどうやっていいかっていうのは悩んだね。でも「あれはやってみれば良かったな」って思うのは嫌だったのよ。無難にいくよりはちょっとおもしろいことやってやろうと思って
★ 横浜のとき(横浜の創学館高校に愛唱歌を作ったとき)のは、学校に対する思い、その場所と、そういうものに対する思いだね。自然の空気感というか、キャンパスとかね。もう何か一発書くとなると、やっぱりその思いだけになるな
★ 新しく知り合った友達には価値がないかというと、そういうことでも無い。年をとると、疑ったり、すぐに人を見限ったりするようになるけど、それでもこの年になってこんな素敵な友達ができたんだ、そう思うと、なかなかないことだしね。結局、古い友達も、新しい友達も、同じように貴重だと思う
★ (友や仲間とは何ですか?)一番かけがえのないものだし、自分と時間を共有してきたっていうこと
★ 宗教曲みたいなのもよく歌ったけど、宗教曲なんて普通にしてたら一生歌う機会はないわけだし、それは結構ためにはなったな
★ 多田さんの曲はたいてい歌ってると気持ちよくなるから、何か歌おうとするときには、多田さんだね。世界的に見ると、特殊な和声というか。オリジナリティーがあって、あれはちょっと違う。日本的で
★ 合唱曲っていうと、ちょっと理屈っぽい曲に走る可能性があるわけじゃん。三善晃とかさ。彼なんかは、どっちかというと前衛的でさ
★ (男声合唱曲で好きな曲は?)やっぱり多田武彦さんの曲は歌っていて気持ちよくなれるようにできてるじゃん。もうそれはずるいくらいに。やっぱりすごく、エンターテイメントの人なんだよね(笑)
★ 仙台行ったとき、最初は運動がしたいと思ってたんだけど、下宿には風呂が週2回しかなくて(笑) それが大きかったかな。下宿に毎日風呂があったら、合唱やってなかったかもな
★ 俺が受験のころ、隣の部屋に兄貴の友達が泊まりに来て、部屋でハモったりしているのを聞いていてね。そのときにピッチが低い、とかいって嫌がられたけどな。まあ、やってみようかな、と思って
★ (合唱を始めたきっかけは?)単純に兄貴がやっていたから。なんせ、なんでも兄貴のやることをおっかけていた。野球もそうだし、音楽もそうだし、合唱もそう
★ (早稲田大学グリークラブから最初に(作曲)依頼を受けたときの感想は?)手紙を見たとたんに、すぐ曲のことを考えていたな。どういう曲で書けるか、前に学校にも曲を書いたことがあるし、まあできるかなと。まず、男声合唱ということもあるから、どんな曲になるかな、ということを考えてた
★ もともと、音楽やってる人間は自我が強い奴しかいないのにそれを無理やりバランスとって仲良しで続けるなんて出来ないよ
★ (初めて買ったレコードは?)ムーン・リバー。『ティファニーで朝食を』という、オードリー・ヘップバーンの映画の曲でした。これ、もっていかれますね。何だろう?ハーモニカの音、あとコード感みたいのが、すごく自分が接したことのないようなサウンドだったんですね、きっと。中学のときですね
★ (体力作りのために、どんなことをしていますか?)できるだけ走ってます。距離は3キロとか
★ (タイムマシーンで行ってみたい時代は、いつですか?)“どの時代”とかじゃなくて歴史上の人物が『あなたは普通の人だったんですね』という確認みたいな・・・『あなたがキリストさんなんですね』という気持ちを味わってみたいので、キリストさんとかいいですね
★ (声を守るために、していること、心がけていることは、ありますか?)何もしないですけど、風邪を引かないようには注意してます
★ (こういう性格の人は苦手だなと思うのは、どんな人ですか?)わがままな人
★ (『おふくろの味』と聞いて、すぐに思い浮かべる料理は?)茶粥
★ (気分転換に、どんなことをしていますか?)散歩
★ (64歳の誕生日当日、一番嬉しかった出来事は?)ツアーをやってるせいもあるかもしれないけど、本当にいろんな人に祝福してもらって、“祝福してくれてるな”と気持ちが伝わってきて、うれしかったですね
★ (アーティストになっていなかったら、どんな職業に就いていたと思いますか?)「建築」をやっていたでしょうね、きっとね
★ (『実は、これは苦手です!』というものは、ありますか?)「生」はいやですね。ライブなんかもそうだけど、生はなかなか大変ですね
★ (何か、ジンクスはありますか?)今は「ない」です
★ 「自分が好きだと感じるもの」を積み重ねながら「作品」にして……、同時代を生きる同じ感性を持った人たちに少しでも届けていけたらいいな、って思っています
★ 継続する、というのは本当に大切なことだと思います。今、あのひとは何をしているんだろう、というブランクはできるだけ作らないようにしなければと思っています。僕の場合でも、どんな小さな活動でもみんなに知ってもらうことで、「ああ小田も頑張ってるな」って誰かの励みになったりすることもあるかもしれないですし
★ お客さんを前にして演奏するのは、とても大事なことで。実際にみんなの顔を見ないと、ズレていってしまう部分もありますね。逆にお客さんが楽しんでくれて、嬉しそうにしている顔を見ると、「そんなに喜んでくれるなら、もう何でもやっちゃうから!」という気持ちにもなります
★ でも今日すぐには無理かもしれない
★ 人生は帳尻が合うようにできている
★ とにかくやってみようよ!
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