杉良太郎 名人・名言集

杉 良太郎(すぎ りょうたろう、本名:山田 勝啓、1944年8月14日生まれ)は、日本の俳優、歌手、社会活動家として広く知られています。時代劇の名優としての評価が高く、また数々のヒット曲を持つ歌手としても知られています。
キャリア
俳優としての活動
杉良太郎は、1960年代から1970年代にかけてのテレビ時代劇での活躍で有名です。特に『大江戸捜査網』や『遠山の金さん』での主演は広く知られています。彼の演技はリアリティと人間味があり、多くの視聴者に愛されました。
社会活動
杉良太郎は歌手としても成功を収めています。彼の代表曲には、「すきま風」や「人生峠」などがあります。これらの楽曲は、日本の演歌やポップスの重要な一部を成しています。
社会活動
杉良太郎は、俳優や歌手としての活動に加えて、社会活動家としても積極的に活動しています。特に、刑務所の慰問や更生支援活動、国際的な人道支援活動に力を入れています。彼のこれらの活動は高く評価されており、数々の賞を受賞しています。
私生活
杉良太郎は私生活でも多くの人々に尊敬されています。彼の人柄や家族への愛情は、芸能界でも広く知られています。
影響と評価
杉良太郎の影響力は日本のエンターテインメント界全体に広がっています。彼の作品は時代劇のスタンダードとなり、後の俳優たちにも大きな影響を与えました。また、彼の社会貢献活動は、多くの人々に勇気と希望を与え続けています。
まとめ
杉良太郎は、俳優、歌手、社会活動家として多彩な才能を発揮し、日本の文化と社会に多大な貢献をしてきました。その功績は、これからも多くの人々に記憶され、影響を与え続けるでしょう。
役者は日頃の過ごし方が大事。悪役なら常に笑うな
★ (杉良太郎 ベトナム貢献30周年感謝の会 労働勲章の授与式にて)自分のことよりも人を思うように心がけようと今日まで参りました。もうこういった性格は直せないので、死ぬまでこんな調子でお節介を続けていきます。お金や名誉や地位は自分には必要のないものなので、平和を叫びながら、国民や世界に訴えていきたい
★ ええ、1年経ってようやく「すきま風」が主題歌として流れたんですよ。レコードはタイミングを合わせてもちろん発売されましたが
★ ヒットしたのは宮川彬良さんの作・編曲のほうですよ。ちょっとこれには面白い話があるんですが・・・
★ 初代の梅之助さんの時代(1970年~1973年の放映)には遠山の金さんを讃える主題歌があったようですね
★ 3代目はたしか橋幸夫さんで、その前が市川段四郎さん、初代は中村梅之助さんだった。そして5代目が高橋英樹さん、6代目に松方弘樹さんだったかな
★ 千昌夫さんの「北国の春」もすごかったという印象があるんですが
★ 「すきま風」は、オリコンのシングル盤100位にいつも出てましたね。どちらかといえば真ん中より後ろだったかもしれませんが。7、80位くらいのところだったかなー
★ 福祉の現場では、自分の無力さを突きつけられる。もっと力があったら助けられるのに、って自分を責めたりね。でも今は、過去を忘れていけるようになりました
★ 自然体だけれども、生易しいものではない。芸能界に入って悩んだことはないけれど、ボランティアでは2回も3回も死にたくなったことがある
★ (ボランティアの動機には)目的も理由もありません。取材にはよく「自然体でやっています」って答えています
★ 地道にずっと続けてきましたが、東日本大震災の後、宮城に炊き出しに行ったら、突然えらく持ち上げられて、本音を言えば面食らいました。ほんとに名前も売りたくないし、いい格好もしたくないですから
★ 中傷ばかりがつきまとうと、やっぱりつらいし傷つくんです。だからボランティアをやっていることを隠していた時期が30年くらいあります
★ 僕、若いころから有名でしたしね。一生懸命他人に尽くしている行為を、売名と切り捨てる人のことは、腹の底では、「寂しい人間だなあ」と思っている
★ 昔は「俺がいつ売名行為をした」って怒っていた
★ 昔から「売名」って言われてきた。最近は面倒くさいから、そういう人には「はい、売名です」って言うんです。僕が今までやってきたこと、あなたもぜひやってみてくださいと思う
★ 明日はわが身、不言実行である
★ ボランティアをやったことがなく、理屈を並べ、批判ばかりをし、善意の行為を理解できないような人格の者が、政府高官という大事な立場にいて、国の仕事を任せられるのか、と感じた瞬間だった
★ 私が今までやってきたことを、あなたも全てやってください。それからもう一度、今と同じ質問をしていただけますか
★ 県民を代表しているのだから、もっと怒らないと
★ 勝手に妄想して、勝手にやってきたのです。だから実のところ、自分自身で解明できないところがあるのも事実です
★ 違法ダウンロードの話を聞いたときも「このままでは多くの若者が犯罪者予備軍になってしまい、明るい未来が遠ざかってしまう」と妄想がふくらんでいく
★ 頼まれてもいないのに、自分で「こうなったらいいな」とか「こうすれば相手が喜ぶんじゃないか」と勝手に夢見てしまう
★ 振り返ってみれば、人から頼まれて行動を起こすということはなかった。「ぜひベトナムに来てください」と言われたこともない。そもそもベトナムのことは知らない。ベトナムの方たちとの付き合いすらなかった
★ 「妄想」というと、ネガティブな印象があります。しかしここで言うのは、社会をすこしでも良くしたいという夢の延長に生じるようなものです。私は子どもの頃から夢見がち、「夢見る夢男くん」てした。こんな性分が長じて、妄想癖となったのでしょうか
★ 「人には親切、慈悲、情け」が口癖で、貧しい人を見かけたら何かをあげずには通りすぎることができなかった母親の影響なのでしょうか。しかし、それだけでは、いままでやってきたことすべてを説明し切れない。もうこれは生まれつきとしか言いようがない
★ 常識では考えられないかもしれない。人はたいてい同じ質問をします。「あななの頭はどうなっているの?」「杉さんをそこまで突き動かす原動力って何ですか?」「これだ」とはっきり答えることのできない問いです。私にも本当のところ、なぜだかわからないのです。いつも気づいたら、行動している
★ ありとあらゆる機関で視察や講演を行い、震災など自然災害が起きるたびに現地に飛んで行きます
★ 最近、新たに取り組みはじめたのが、刑務官の官舎の問題です。公務員宿舎は廃墟同然の劣悪な環境のところが多く、「それでも辛抱しろ」という昔ふうの考え方が根強い。施設によっては刑務所のほうが綺麗と思ってしまうところさえあるほどてす。これを新たに建て直すか、それとも改築するかを検討し、予算を確保するために奮闘しています
★ 一人ひとり、信頼できる日本人ができることで、日本人全体のイメージもほんのすこしかもしれないけれど良くなるはずです。ひいては、日本との友好関係につながっていくに違いない。そう信じて、私は民間外交・文化交流に徹してきたのです
★ お金では決して買うことのてきない大切なものを、私は福祉活動で出会った人々に与えてもらったのです
★ 「真実」の拍手、「真実」の笑顔、「真実」の涙。嘘や建前の多い世の中にあって、「真実」を私に教えてくれたのは施設の人たちでした
★ ボランティア、福祉は一方通行。
★
★私はそう思って、いままで活動を続けてきました。
★
★ただ、様々な活動を通じ、結果としてかけがえのないものを得たのです。それは「真実」に出会えたということ
★ 別れ際、私は「ありがとう、ありがとう、かならずまた来ますから僕の歌を聞いてくださいね」とお年寄りたちの手を一人ひとり握りました。そうして、感謝と感動を胸に養老院をあとにしたのです
★ (15歳の)私が歌を披露すると、両手を合わせて私のことを拝み、涙を流して「ありがとう」を繰り返したのです。そのときは深い考えがあって養老院を訪れたわけではありません。「行ってみようか」ぐらいの軽い気持ちでした
★ 国際的に活躍できる仕事を選んでほしいと思っていましたが、親と同じく役者になった。思ったようにはいかないものです
★ 自然のなかで、遊びながら子どもたちを教育する。そこから得られるものは、成長したあとかならずプラスに働くはずです。動物や植物すべてに命があるということ。そしてその命かどう生きていくかということ。自ら生きていくうえで大切なことに気づくはずです
★ 彼(長男の純大氏のこと)に、私は節目で大事な経験をさせてあげたいと思っていました。一つは、自然とふれ合うこと
★ そしてまた次の世代が育っていく。命がつながれていく。世の中はその繰り返しなのだと思います
★ 私は、いまやお金や財産への執着がどんどんなくなってきた。肩書きも同様です。ここまで記したとおり、「日本・ASEAN特別大使」から「法務省特別矯正監」まで、いまの私にはたくさんの肩書きがありますが、それも一つずつ外していきたい。「杉良太郎」のまま、身一つで幕を引きたい。そう思っています
★ 良いことも、悪いことも、みんな熟して落ちる。熟して落ちるまでに評価はされたとしても、落ちるものは落ちてしまう
★ 私はなおも生き方のスタイルを変えられないようてす。もしかしたらいまも彷徨いながら歩く道の途中にいるのかもしれません
★ 私は驚きました。門跡は一度顔を見ただけで、私の心にしわ寄せが来ていることを見抜いて、「今」の瞬間に徹することが大切だと説いてくださったのかもしれません。この書を繰り返し眺めるうちに、すこしずつ気持ちがやすらいできたのです
★ 京都に大覚寺という神仏習合のお寺があります。そこの門跡をなさっていた故・上井寛圓さんとはじめて会ったときのこと。私の顔を見るなり、「書を書きたくなった」と言いました。「はじめてお会いした方にこんなことを申し上げるのは失礼ですが、いつか書き上げてお届けします」。そして後日、東京までわざわざ持ってきてくれたのです
★ 私は変化することが苦手でした。芝居でも福祉活動でも、こうと思えばとことんやらないと気が済まない。年齢とともに自分の生き方のスタイルを変えるということはできなかった。だから、心にしわ寄せが来てしまった
★ 人というのは、一〇〇%強くなれない。また、強い者が生き残るものでもない。結局は変化する者が生き残っているんだ、と
★ 思いを遂げたい。一生懸命育てた分、花を咲かせ、実をつけてほしい。一生態命取り組む分、一緒に汗を流してほしい。一生懸命与えた分、本気を出して向かってきてほしい
★ 思いによって、救われることもあれば、傷つけられることもある。人の思いによって、人生は大きく変わるものです。だから、私は一生懸命、人のことを思いやりたい
★ 誰にだって欲がある。しかし、欲を抱けばきりがない。私は欲の蟻地獄へは嵌りたくないと思って生きてきました。私が大事にしてきたのは、人の思い
★ 億万長者になっても総理大臣になっても最後は死ぬ。人も自分もすこしでも長く生きたい、生きさせたいと思うのならば、何でガンをはじめ難病克服のための研究にお金を投じないのか。何で自分が死んだあとに札束を残したいのか。私にはまったく理解できません
★ 結局、ベッドは一つ、胃袋は一つです
★ 自分で稼いで自分で使うのももちろんいいですが、自分一人ではきっと使い切れないのではないか
★ 本当の金持ちというのは、生きている間にいくら使ったかで決まる。それも、誰のために使ったかが重要です
★ いまの人たちはあまりに職場を変えすぎる。でも、どこへ行っても仕事の本質は同じです。どこで働いたとしてもそこで日本一になればいいのです
★ 私自身の経験から言えば、つらく苦しいこと、あるいは人が嫌がることを率先してやること。それから、いまある自分の環境でがんばること
★ 人が年を重ねて成熟していくこと。これは、植物で言えば若葉の頃、つまり若いうちにどれだけ力いっぱい生きたかということにかかっている
★ 育てている私としては、やっぱりその木が育って、棄っぱが勢いよく青々となり、やがて小さくても大輪でも花を咲かせ、実がなってほしい。その木に花も実もある一生を送らせたい。人間の一生についても同じです
★ 木々を育てるというのは、一筋縄ではいかないものです。どうして同じ時期に植えた木が、一方は枯れて、一方はすくすく育つのか。植え方が悪かったのか。風当たりが強かったのか。日当たりが悪かったのか。どうすれば良かったのかといろいろ考えます
★ はじめて訪れる人はきまって「なんでこんなところに家を建てたんですか。ふつう、芸能人の別荘っていったら、軽井沢とか箱根でしょう」と言います。そこへ年に何回か行って、自然に還るという暮らしをこれまてずっと続けてきました
★ 二〇年ほど前に、青森の人里離れた山奥に一軒の家を建てました。三方を川に囲まれ、まわりには何もなく、冬は深い雪に埋もれる地。東京からはちょっとした外国に行くくらいの時間がかかる。世間から完全に隔離された場所です
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