福原愛 名人・名言集

福原愛(ふくはら あい)
生年月日:1988年11月1日
出身:宮城県仙台市
卓球選手
史上初の全日本グランドスラム達成者であり、五輪2大会連続のメダリスト。ITTF世界ランキング最高位は4位(2015年10月)。段級位は7段。日本オリンピック委員会・選手強化キャンペーン・シンボルアスリート制度適用選手。
日本では幼少期からテレビなどマスメディアに頻繁に登場し、「卓球の愛ちゃん」「天才卓球少女・愛ちゃん」「泣き虫・愛ちゃん」などと呼ばれ、国際大会で活躍するようになってからは中華圏で「小愛」(シャオアイ)や「瓷娃娃」(ツーワーワー)などと呼ばれ親しまれている。
その注目度から、内閣府「災害被害を軽減する国民運動サポーター」、中国などとの間の様々な親善大使、出身地である仙台市の観光大使、CM出演なども務めてきた。2018年10月、現役引退を表明した。
福原愛は幼少期から天真爛漫な笑顔でお茶の間の人気者となりましたが、思春期に入るとメディアに対して喋りたがらないことが増え、悲しそうな表情をすることも多くなりました。彼女自身は、「周りのこととか、卓球以外のことが見えてきていた」と振り返っています。しかし、中学2年生頃から徐々に再び笑顔を見せるようになり、インタビューにもきちんと答えるようになりました。
試合後の泣くことはほとんどなく、また勝って泣いたことは一度もありませんでしたが、2008年2月の世界選手権広州大会の予選での韓国戦で珍しくメンバーとともに号泣し、喜んだことがありました。
2007年12月には眼鏡をかけて成田空港に現れ、遺伝により乱視になったことを告白しました。彼女はコンタクトレンズを使いたかったが、合わず眼鏡を選んだと述べました。また、子供には卓球選手であったことと中国語が流暢であることを秘密にしており、日本語で話しかけるように指示していました。
福原愛は中国でも高い関心を集めており、2005年にはYahoo!の中国サイトが世界卓球8大美女に選出しました。また、中国のメディアは福原の活躍を積極的に報道し、彼女を「著名な日本の卓球選手」として紹介しました。特に2008年の世界卓球選手権団体戦では、中国のファンが福原を応援し、「福原愛永遠支持」という横断幕を掲げるなど、大きな関心を示しました。
福原は日中友好関連のイベントにも積極的に参加し、上海万博事務協調局から2010年の上海万博の日本親善大使に選ばれたこともあります。また、胡錦濤国家主席や王楠との交流も報道され、福原の中国での人気が窺えます。彼女は中国のファンからは「瓷娃娃(ツーワーワー)」や「爱酱(アイジャン)」などの愛称で親しまれ、離婚協議の報道にも関わらず、中国人ファンからの支持が根強いことも伺えます。
選手としての立場を、ここで一区切りつけることを決意しました
★(2018年10月21日 ~福原愛オフィシャルブログにて~)
★ 私は生涯卓球人なので、卓球という軸がぶれることは一生ありません
★ 一度も卓球を嫌いになることはありませんでした
★ (2016年リオ銅メダル直後)本当に苦しい、、、苦しいオリンピックでした
★ こんなにやったんだからという自信
★ 時計の針が1周するほど限界を超えるまで練習しました
★ (猫派?それとも犬派?)犬が好きです
★ (ドライブをしていて良い景色があったら、車を止めますか?それとも運転を続けますか?)止まりやすい場所だったら少し止まります。写真を撮りたいので
★ (縁起をかつぐとしたら、一番は何ですか?)毎朝コンタクトレンズを入れますが、大会の日には左目から入れます
★ (もし、卓球ウェアをデザインできるとしたらどんなデザインにしますか?)デザインの才能はないので、他の人にデザインしてもらった方がいいですね。ピンクは好きです。でも、頭の先からつま先までピンクにしたら恐いですよね
★ (卓球での一番の成功と言えるのは何ですか?)(ロンドン)オリンピックの女子団体で銀メダルをとったことです
★ (中国で一番印象に残っている場所はどこですか?)それぞれの場所が印象に残っているので一番を決めるのは難しいですね。どうしてもひとつ選ぶなら、中国に初めて5歳で行った場所になります
★ (今後行ってみたい場所はどこですか?)オーストラリアとハワイです。コアラを見たことがないので見に行きたいです。ハワイは母がいつもハワイに行きたがっているので一緒に行きたいですね
★ 今回は本当に結果を残したい。五輪はたくさんの人にいっぺんに恩返しできるような大会ですね
★ 普段よりも数倍強い中国になるんじゃないかな。わたしにとってはホームではないけれど、アウエーでもない
★ 60歳になっても現役時代の気持ちに戻って話したりしていて、うらやましかった。『北国の春』も歌うんですよ、日本語と中国語で。わたしは歌えなかった。最後は日本語の方まで中国の人に教わりました
★ テレビの中国語講座にも出ていて、行きつけの美容院の人がちょっとでも中国語を覚えようとしてくれて、うれしかった
★ 卓球をやっていて、それが友好になるのであれば、すごくいいこと。わたしでいいのかな、とは思っているけれど
★ 昼ご飯を他の選手とみんなで食べたり、すごく良くしてもらって、外国の人という見方をしていなかった。その後は遼寧省でも練習させてもらった
★ 10歳ごろまでそのコーチの出身地、天津に毎年のように行って練習した
★ 兄の卓球のコーチが中国の人で、わたしも3歳で卓球を始めたころに見てもらった
★ 丁寧選手に初めて勝てたので、うれしいけど、チームが負けてしまったので…。悔しい気持ちが大きい
★ しかし(今は)佳純ちゃんも逆にどんどん出てきたほしいと思うようになりました。怖い、という気持ちより、ちゃんとした壁になりたい、といけないという思いです
★ 焦りは全くないといったら嘘になります。いつか『必要ない』って言われたらどうしよう、って恐怖があった
★ (アジア大会出場は何回目ですか?)4回目…になったでしょうか。チームには私より一回りも若い選手もいて、『おばさん』って呼ばれてしまうくらいになりました
★ アテネのときに感じた“メダルとの距離”を意識し過ぎてしまったのかな、という大会でした
★ まずオリンピックに出ることができたということだけでうれしくなってしまって…もちろんメダルを獲得したいって思ったんですが、実際にメダルとの距離をすごく感じた大会でした。メダルを獲るのは本当に難しいんだと、実感しました
★ 7歳なのですごく漠然とした夢でしたが、“いつかここで試合がしたいな”って思うことができて、いい経験をさせていただいたんです
★ 実際に試合の応援をして、そこで初めて、“オリンピックってこういう場所なんだ”と…
★ 同じ思いをしたくないということと、気持ちで負けたくないという思いをぶつけました
★ もし40歳になっても相手がいなかったら、お見合いしようかと思う
★ 褒めていただいたのに、私が相手を知らないのは失礼
★ 私は昨日のシンガポール戦の第4試合で負けました。とてもつらくて、残念でした。だから、中国チームとの対戦では悔いの残らないようにプレーしたかったんです
★ 実力では絶対に勝てませんでした。今日、彼女(丁寧)はとても緊張していたようです。団体戦の初戦は重要ですから
★ 一度も丁寧選手に勝ったことがなかったので、興奮しました。私たちが1-0でリードしたとき、中国チームはプレッシャーを感じると思ったのですが、彼女たちの実力はやはりすごかったです
★ ゆっくり。後ろに下がってください。私がもう少し前に行きますので。いいですか?
★ はっきり意見を言うこと。これを学びました
★ いきなり「フーユアンアイ」と名前を呼ばれると反応してしまうんですよ。それでバレちゃうというか。先生に名前を呼ばれると、ドキッとするみたいに
★ それ以前は「よく寝て、よく食べ、よく笑う」だったんですけど、お兄ちゃんに、「もう高校生だから」とパソコンの前に連れて行かれて、四文字熟語を検索して「どれがいい」といわれて、それでこれにしました
★ (好きな言葉や座右の銘はありますか)一意専心
★ 私も中国に行かせてもらって、いろいろみんなとしゃべったり遊んだりとかして、喧嘩なんかすることはないんですけど、ニュースとか見ていて、本当に、こんなことあるのかなあ、という気持ちになります
★ 試合する時は、やっぱり対戦国とか相手とかになってしまうんですけど、それが終わったらみんな仲良くやっています
★ 広東語は喉の奥で発音するような感じで、上海語の方がまだ覚え易いように感じます
★ 王楠さん(第四十八回世界選手権上海大会女子ダブルスのチャンピオン)がいることによって、普通は、アウェイはあそこまで応援されないんですけど、すべてがホームみたいな感じになります
★ 昔は、観客全員が中国の選手の応援でした。私がまったく有名でなかったことも関係があるかもしれないけど、悲しいなと思うことがありました
★ 試合直前に、「サインしてください」と言われて、「試合が終わってからでいいですか」と言ったら、その試合の間は「福原愛はサインしてくれなかった」と言って、ずっと相手の応援をしているオジサンもいます
★ 中国の人たちはすごく卓球が好きで、見る目がすごく肥えています。どちらに対しても、ナイスボールが入ったら応援してくれますし、その一本がきっかけで、自分の味方になってくれる観客の方もいます
★ この間までは光良(男性歌手)の『童話』という歌が好きでした。その人に、空港であったんです。だから余計に好きになりました
★ 私のコーチがまだ23歳で、新しい曲とかに敏感なほうなので、よくそんな話をします
★ 悲しいとかはないですよ。ただ、たまに中国に来るぶんには大丈夫なんですけど、ずっと中国にいるときは、中国のみんなと接する時間もすごく長くなると、寂しかったことはあります
★ 以前、韓国オープンに中国からいったとき、私だけみんなより遅れて行ったんです。そのとき交通事故に遭ったんです。事故といっても、乗っていた車が前の車にこつんとぶつかった程度の事故ですけど、それでみんなに合流するのが遅くなってしまったのです。みんなが「何で遅れたの」と聞くので、私は「車がぶつかったの」と答えたのですけど、悲しい話なのに、みんな大爆笑するんです。私の発音があまりにひどい東北訛りだったからでした
★ ホテルに泊まって、お風呂につかったとき、上がろうと思って、こうやって取っ手をつかんだら、取っ手ごと取れちゃったんです(笑い)。それでびっくりしました
★ そーですね。だいたいは大丈夫ですけど。でもやっぱり、書いたり、読んだりするのは、しゃべるようにはできないんです
★ そのころは、中国語を覚えたいと思ったわけではないんですけど、自然に覚えて行ったのです。半年くらいで耳から覚えて、話ができるようになったと思います
★ 小学校二年生のとき、大阪の小学校に転入したんですけど、そのときのトレーナーさんが、日本語は完璧だったのに、毎日、繰り返し繰り返し中国語をしゃべってくれました
★ 最初の中国のトレーナーさんは日本語がうまく、日本語でばかり話していました
★ 全然中国語が話せなかったときに、北京でカードを買ったんです。絵が描いてあって、中国語の発音が日本語で書かれているんです。一枚目が「電風扇」で、二枚目は「電冰箱」で、確か三枚目は「天安門」でした。それで中国語を覚えたんです
★ 初めて覚えたのは、「電風扇(扇風機)」と「電冰箱(冷蔵庫)」でした
★ また日本語では、一つの言葉なのに、中国の卓球界ではもっと細かく分かれているという場合もあります
★ 例えば「グワー(刮)」という言葉。球にドライブをかけてゆるやかな弧を描くボールのことなんです
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