スティーブ・ウォズニアック 名人・名言集
スティーヴン・ゲイリー・ウォズニアック(Stephen Gary Wozniak)は、アメリカ合衆国のコンピュータ・エンジニアである。スティーブ・ジョブズ、ロナルド・ウェイン(英語版)らと共に、商用パーソナルコンピュータで世界初の成功を収めたAppleの共同設立者の一人であり、創業から2020年現在まで在籍し続けている唯一の社員である。
Apple IおよびApple IIをほぼ独力で開発。多くのコンピューター関係者に人柄を慕われ「ウォズ」と、また、技術者からはApple IIの設計などから窺えるその技術力から「ウォズの魔法使い」とも呼ばれる。
少年時代は引っ込み思案な性格だった。エンジニアだった父親に幼少期から様々な専門知識を教わったため、小学6年生のときにはIQは200を越えていたと語っている。 ブルーボックスを製作していた当時、ウォズニアックはヘンリー・キッシンジャーを騙ってバチカンのローマ教皇庁にブルーボックスで電話をかけ、ローマ教皇パウロ6世を呼び出そうとした。1977年には、MITSがリリースする新型機という触れ込みで、Zaltair 8800という架空のコンピュータのパンフレットを作成して展示会で配布する「いたずら」もおこなっている。
ウォズニアックが アップルの設立に弱腰だったのを、ジョブズが「一度くらい失敗したっていい。それよりも、俺は一度会社を作ったことがあるんだぜといえることのほうが大切だ」といって口説いたというエピソードは有名である。
前述のとおり、ジョブズがアタリの技師になったころ、ブロック崩しゲームである「ブレイクアウト」の設計を命じられた。 ジョブズは自身の手に余る仕事であることを認識。すぐにウォズニアックに助けを頼んで、2人は4日間の徹夜でブレイクアウトを完成させた。ジョブズは報酬の山分けをウォズニアックに提案し、アタリから受け取ったとする700ドルのうち350ドルを小切手にしてウォズニアックに渡した。しかし、実際にはジョブズはアタリから5000ドルを受け取っていた。後にウォズニアックの知るところになるが、彼はたとえ25セントしかもらえなくても引き受けただろう、と語った。
また、1980年にAppleが株式公開をする際、株を持っていたのは創業者と一部のマネージャーだけであった。しかし、ウォズニアックはストックオプションの権利を持たない従業員にウォズプランという形で、彼の所有分から1人2,000株まで買えるようにした。ジョブズやマークラは、この行為は間違っていると非難したが、ウォズニアックは「おかげで家を買ったり、子供を大学に通わせたりできたと多くの感謝を受けた。やった甲斐があった」と語っている。
USフェスティバルを主催したウォズニアックは、推定2000万ドルを損失したが、本人は大満足しているそうである。
1990年代、Nintendo Powerというアメリカで販売されていた任天堂専門誌で、毎回ゲームボーイのテトリスのハイスコアと達成者の出身地や名前を掲載するコーナーが存在していた。ウォズニアックは長い間1位を独占し続けていたが、あまりにも長期間1位を専有しすぎたために雑誌側から掲載を断られるようになってしまった。そこでウォズニアックは自身の名前を「Evets Kainzow」と逆から綴って再び投稿したところ見事に出し抜いて1位に返り咲いたのであった。ウォズニアックとテトリスのつながりは深く、ゴルバチョフとジョージ・H・W・ブッシュにゲームボーイ本体とテトリスをプレゼントしたことすらあるという。2013年の雑誌Game InformerのYouTube企画で撮影された動画内では愛機のゲームボーイライトをプレイしながら自らそれらの経験を雄弁に語っていた。
僕らがやってたことは新たな常識の創造だったんだ
★ どのアップル製品も人生を変えるようなものばかりでした
★ 僕らはただアイデア一つで未来を変えようと夢見る若者だったんです
★ 賢い人たちが働くとき、いつもドアは開かれている
★ 自分に与えることは、他人に贈り物を買うことよりもずっと重要だ
★ 私の会った多くの発明家や技術者は、私に似ている。恥ずかしがり屋で自分の世界に生きていることろがね
★ あなたが自分のやっていることが好きで、必要なことを喜んでするなら、あなたはそのことについて、何かを成し遂げるだろう
★ 彼(スティーブ)は、強引で生意気な印象を与えるが、僕にとっては、いつも優しくいい友人だった
★ 顧客が何を必要としているのか、そして何を必要としていないのか、責任をもってそのことを把握するためにマーケティングという仕事は非常に重要だ
★ 彼がいない今は本当に寂しいよ
★ テクノロジは進化する。近い将来、スマートフォンは人間の感情を理解し、きっとあなたにとっての一番の友人になるだろう
★ Appleによって、たくさんのお金を手に入れたが、私は金持ちになりたいわけではなかった。お金には興味がなく、良い製品を作ることだけを考えていた。私は根っからのエンジニアだった
★ 知り合った頃のスティーブ・ジョブズは、コンピューターのことは全く知らなかった。しかし彼は、学生の頃から、20ドルで作ったPCを40ドルで売る才能を持っていた
★ 僕の人生の全ては彼(スティーブ)のおかげだ
★ 私は高校生でコンピューターの設計を始めた。何百ものコンピューターを繰り返し、繰り返し設計した。私はそれが一生の仕事になるなんて考えもせず、技術を高めていった
★ 彼(スティーブ)はいつもエンジニアの僕を押し上げてくれた
★ 彼(スティーブ)は僕らは持っている技術を改造するだけじゃなく、世界を変えてしまうくらい全く新しい技術を考え出すことに秀でていた
★ スティーブは明らかに傑出したビジネス思想家だった
★ 昔はコンピュータが意志や感情を持つなんてことはありえなかった
★ 最初は大金を稼ぐ勝者になれないんじゃないか、なんて心配する必要はない。ただ楽しむために計画を進めるんだ
★ Apple IIは本当にオープンなマシンだった。だからAppleは大きな企業になることができた
★ お金は、少しくらい足りないほうがいい。そのほうが色々なアイデアが浮かび、いいものができる
★ 僕はオープンという考え方がすごく好きだ。オープンは世界を変える
★ イノベーションにとって大切なのは知識よりもモチベーション。もっと知りたい、もっと良くしたいという情熱がなければイノベーションは起こらない
★ アイデアを思いついたら、まず自分自身でビルドせよ。それが脳を鍛え、イノベーションへとつながる
★ 時々、ただの問題解決をイノベーションだと勘違いしている人がいる
★ 若い頃はごくごく限られたパーツからゲームやマシンを作ったりした
★ 子どもたちにエンジニアリングの楽しさを見せることは我々の重要な責任
★ 教育にとって重要なのはお金より時間、子どもたちのそばにいる時間。だから教師という仕事は尊い
★ ジョブズとは信じられないくらい大切な関係だった。僕は、彼を悪くいったことは一度もない面と向かって口論したこともない
★ まず手を動かす、失敗してもそこからフィードバックを得る。言うほどに簡単ではないが、これを実践しない限りイノベーションは起こらない
★ 僕は小学校の教師になりたかった。自分の全人生を通して、教育がすごく大切だということを知っているからね。子どもたちこそ未来だよ
★ 全ての時間を捧げて夜に一人で何を作りたいのか考える、それだけの価値がある。それは報われるんだ、約束する
★ あなたが自分のしたいことをしていて、目的のために喜んで働くなら、成功は手の届く距離にある
★ 孤独に働きなさい。話し合いに頼らず、群れずに
★ 世界を急に変えることはできなくても、少しずつ良くしていくことはできる
★ あなたのアイデアも形にするには時間がかかるかもしれない。でもまずは最初の一歩を踏み出そう。結果は必ずあとからついてくる
★ 物事を簡単に行えるようになるほど、そのやり方を変えることは難しくなる
★ 僕が何かをデザインすると、スティーブ(故スティーブ・ジョブス)はそれをお金にする手段をすぐに見つけてきた
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