有働由美子 名人・名言集
有働由美子(うどう ゆみこ)
生誕:1969年3月22日
出身:大阪府
フリーアナウンサー、ジャーナリスト
元NHKアナウンサー
1991年4月、NHKへ入局。大阪放送局に配属[6]。最初はスポーツを担当。
1994年3月、東京アナウンス室へ異動。 以降、1995年(入局4年目)から担当した『NHKニュースおはよう日本』をはじめ『サタデースポーツ』・『サンデースポーツ』・オリンピックの中継・『NHKニュース10』・『あさイチ』などで、キャスターを担当することになる(以下で説明)。
2001年 - 2003年までは、『NHK紅白歌合戦』で紅組司会を担当。
2002年4月1日、『NHKニュース10』のスポーツ担当( ~2006年3月31日)。
2004年3月29日には『NHKニュース10』のメインキャスターに就任(スポーツ担当も継続して兼任。 ~2006年3月31日)。
2006年4月からは、スポーツ・報道の現場を離れると同時に小川浩司と共に『スタジオパークからこんにちは』の司会を務める。その後、小川が体調を崩したこともあり、有働が単独でゲストとトークを行うスタイルが確立された。2007年度には相方が遠藤亮に交代した。
2007年6月、アナウンサー職のままアメリカ総局(ニューヨーク)へ異動[7]。これは、アナウンサー職のまま特派員になる初事例であった。アメリカ滞在中の2008年6月16日付で管理職に昇格した。2010年春、アメリカ総局から東京アナウンス室へ復帰。
2010年3月29日、新番組『あさイチ』の初代メインキャスターに就任(~2018年3月30日)。
2012年 - 2015年の紅白歌合戦では、総合司会を務める。
2013年2月1日、『TV60 日テレ×NHK 60番勝負』の番組宣伝のため日本テレビ『PON!』に出演、NHKの現職女性アナウンサーが民放在京キー局制作の情報番組に出演するのは史上初。
2018年3月31日、27年間在職したNHKを退職。退職後はジャーナリストとして活動する意向とのことであった。
NHK退職後の同年4月26日、くりぃむしちゅーやマツコ・デラックスが所属する事務所であるナチュラルエイトに所属することを発表。また、同年5月30日に放送された『マツコ、昨日死んだってよ。』(テレビ東京)でナレーションを担当、フリー転身後NHK以外への初の出演となった。
2018年10月、『news zero』(日本テレビ)のメインキャスターに就任。( ~現在)
2019年11月9日、天皇陛下のご即位を祝う「国民祭典」の祝賀式典の司会を俳優谷原章介と共につとめた。
2022年8月中旬から、『news zero』でウクライナ情勢の取材の為、ウクライナ・キーウへ渡航し、現地中継で伝えた。
盛らずに引かずに等身大でしゃべって、そこが間違っていたら謝る
★ 成長もしたようでしてない
★ 自分がやりたいことは何なのか、自分は本当はどう思うのか、ということを考えていないと、自分がわかんなくなっちゃう
★ (Twitterとかやらないの?)やってません。私、酔っ払った時にいろんな人にメールしちゃうんです
★ 周りがどう思うかではない。長い人生を考えると、人の意見で生きても誰も責任とってくれない
★ 2択があったら自分に負荷の多い、危ない道を選んだ方がいい
★ 若い頃は苦しいし悲しいし、人間不信になったりもするけれど、40代後半からは楽になるから
★ 個で発信するのはすごくしんどいと思います
★ 仲間は大事にするんですけど、せっかく「個」になったのだから、自分が何をやりたいのか、発信したいのかは責任を持って考えたい
★ 叩かれることを恐れ発信しないのでは本末転倒
★ アナウンサーって「書いてあるものをただ読むだけ」と思われがちですが、原稿ひとつ読むのにもジャーナリスティックな視点が必要
★ 20代はただ必死。30代は肩ひじ張っていました。ちょっとできるようになって、負けたくない、社会に認められたいというのがありましたね。40代になってようやく、自然体っていうものが見えてきた
★ 母親は67歳で亡くなったのですが、最期に「由美子、人生なんてあっという間ね」とつぶやいたんです。すっかり忘れていたのですが、その言葉を思い出して。母が亡くなった年齢まで20年ない。割とすぐだな、と思って…
★ 叩かれないように愛されるようにやると、丸くふわっとやっちゃうと思う
★ (NHKを)辞めた時と辞めない時のメリット、デメリットをノートに書き出して。何回やっても、辞めない方が得になるんです
★ 私の古い価値観も言ってみて、バッシングされたらそれもいい
★ 「あの人NHKだからよかったけど、フリーになったらダメだね」って陰口を言われる夢を4回ぐらい見ました
★ 自分の価値観を壊すのに一生懸命です
★ プライベートと仕事で悩んだ時は、いつも仕事を選んできました
★ 「素」と「個性」を一緒にして、「素」のなかから「個性」を探そうとすると苦しくなります
★ (自身の性格は)後悔するし、仲のいい友達と会うとネガティブな話ばかりしています。家に一人でいたら、なるべく外に出たくないタイプです
★ 私は「個性」って人が決めるものだと思うんです
★ アナウンサーという仕事柄、純文学の朗読をしたりすることもあるのですが、(サザンオールスターズの)桑田さんの歌詞は無駄なく内容が詰まっていて読みがいがある
★ (NHK退局直後)何かの所属から離れるというのがこんなに不安なのだと、初めて知りました
★ 1社で一生を全うしたいと思っていた
★ どっぷり浸かりたい時にも、気分を変えたい時にもサザンを聴きます
★ この歳(50歳)になると、築き上げてきた城を壊して自分を解放するほうが難しい
★ 無責任な世の中を無責任に作ってしまうという怖さもあります
★ 挑戦しないと、自分がどんどん凝り固まってしまう
★ (NHK退局後)一個人として、相手と同じ目線に降りないとダメだ。そう気づいてから、自分が身につけた鎧を一つずつ外していって…
★ 自分が納得するまで(取材を)追いかけていたい
★ 新しい価値観に触れたり、新たな事実を知ったりするのが好き
★ (NHK入局した頃)道を歩いていて面白いものを発見したら、近くの家のインターホンを押して、「すみませ~ん、表にあるもの、見せてもらってもいいですか」とやっていました
★ 不安との闘いが永遠に続くので、どこかで終止符を打ってくれる男の人が欲しいんですけど、男の人に全然人気がないんです(笑)
★ 視聴者の意見は、とっても大事にしたい
★ 結婚だけが幸せのゴールだとは思っていない
★ 外に出て、現場で何を感じて、どう伝えるかというのは、私だけのもの
★ ただニュース原稿を読むのではなく、そのニュースの本質は何か”ということを『あさイチ』でも、1人のジャーナリストとしてやって来たつもり
★ (報道を目指した理由は?)
★
★(小学校4年生の頃)第二次オイルショックの後、省エネのために学校の教室の電気を消していた時期がありました。でも大阪の繁華街は、ネオンがギラギラしている。なぜ、繁華街は電気を消さないのだろう。理由が知りたくて「毎日小学生新聞」の編集部に電話したら、丁寧に解説してくれました。その時「私もこういう仕事がしたい」と強く思ったのが原点です
★ 知らないことを自分なりに追いかけていけるのが、この仕事の面白さです
★ “お堅い仕事しかしません”なんて、全然そんなことありません
★ NHKを辞めたからって、私という人間は変わりません
★ 回す技術は、場数で向上するもの
★ (20代の頃)先輩に視聴者のために放送しているんだということを忘れるなと徹底的に教えられました
★ どちらかというと組織の一員として認められたい、染まりたいというタイプでした
★ (NHK時代)自分が伝えたいことと組織の価値観とのぶつかりを、ぶつかりとすら思わなくなり始めていると気づきました
★ (NHKを辞める際、迷いは?)すごくありました
★ スタジオでは『伝えられている』という手応えを強くは感じられない
★ もっと若い世代が言いたいことが言え、やりたい事ができる世の中にしたい
★ 自分の頭でしっかり考える事は、取材を行う際にも肝に銘じていること
★ (神戸女学院大学"文学部総合文化学科"に入った理由は?)社会学を学んで小学校の頃からの夢だった新聞記者になる為
★ (NHK卒業の理由は?)ひとつは、年齢的に管理業務を提示された時に、いや、もっと現場でやりたいですと思ったことです。そして、もう一つは何をやるにもNHKの枠で考えてしまう自分に、違和感も覚えていたからです
★
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