木村清 名人・名言集

木村清(きむら きよし)
生誕:1952年4月19日
出身:千葉県
実業家
すしざんまい代表取締役社長
1952年4月19日[1]、千葉県東葛飾郡関宿町(現:野田市)生まれ[2]。1968年3月に野田市立木間ヶ瀬中学校を卒業し、同年4月、航空自衛隊第4術科学校生徒隊に入っ。
木村は戦闘機パイロットになりたいと希望していたが、パイロット養成課程である航空自衛隊航空操縦学生の採用試験を受験するには高校卒業資格が必要であった。木村は、1970年に大学入学資格検定に合格して高校卒業資格を得て、航空操縦学生採用試験の受験資格を満たした。
しかし、航空自衛隊に入って3年が過ぎた1971年に[注釈 3]交通事故に遭って目を患ったことで航空操縦学生採用試験を受験することを断念し、1974年に航空自衛隊を退職した。
航空自衛隊在職中に中央大学法学部通信教育課程に入学しており、1979年3月に卒業。航空自衛隊を退職した後は、司法試験合格を目指していた。
百科事典のセールスマンや、そろばん講師、焼き芋屋、日焼けサロン店店長、アサヒビールの売り子など職を転々とし、1974年に大洋漁業(現・マルハニチロ)の子会社である「新洋商事」に入社。当初は3か月のアルバイトで辞めるつもりであったが、魚の目玉目当てに司法試験を断念し入社した。新洋商事で魚の仲買人となり、築地市場で多くの取引先を持つようになる。
1979年6月に新洋商事を退職し独立。喜代村の前身となる木村商店を創業した。木村商店で弁当屋、カラオケ店、レンタルビデオ店などを経営し、1985年に喜代村を設立[8]。しかし、バブル崩壊に伴い全ての事業を清算。手元に残った300万円と、築地時代(新洋商事時代)のコネを活用し、寿司店「喜よ寿司」を開店。2001年4月に築地場外に日本初の年中無休・24時間営業の寿司店「すしざんまい本店」を開店した。
私も人間だから、人に失礼なことを言ってしまったりと失敗はある
★ もうダメだと思うときは疲れている時。そういうときは布団に入って心のスイッチを完全に切り替える
★ 人の努力が報われるような社会であることを願っています
★ 人は「人の喜び」によって生かされています
★ 私たちにゴールは無く、お客様からのニーズがある限り、その期待に応え続けます
★ 日本の借金がなくなって明るく元気のいい国にしたい
★ 諦めないから今日がある
★ 和食がユネスコの無形文化遺産に登録されました。とても嬉しく思うと同時に、和食に携わる人間として、大きな責任を感じています
★ 人材がいなかったら育てる。その気迫が大事です
★ 売上げが伸びていなければ、お客さんが満足していないということ
★ 努力をすれば絶対に叶うから、夢は捨ててはいけない
★ 今何ができるかを見つけることが大切
★ いい考えが思い浮かばなかったら明日にするか、人に意見を聞く
★ 安泰と思ってはいけません。心配なのはお客さんが満足してくれているかどうかです
★ 修羅場を何回くぐったかが人生なんだ。だから、ピンチは大きい方がいい
★ 私にとって「マグロ」は何よりも特別な魚です
★ 今あるものより、いいものを提供する。自社で開発する
★ (自衛隊時代)当時の教官や大隊長は、第二次大戦を生き抜いた人達で、体罰なんて当たり前
★ 私は常に、人が喜ぶもんを考えてるんですね。ドラえもんのポケットですよ。こんなのあったらいいな、と思ったらやってみる
★ 今の時代の経営は、即断即決で動かないと話にならない
★ ピンチや修羅場はいくらでもあった
★ 「働く」ということはどういうことなのか?私はこのような少年時代のアルバイト経験を通して、一つ一つ学んで行きました
★ 新しいものには人が集まってくる。人が喜んで来るから繁盛する
★ 伸びる分野に力を入れることが大事
★ 人間は極限状態になると、すごい力が湧いてくることが分かった
★ 自衛隊に入るために家を出る時、亡くなった母に『後ろ指をさされるようなことはするな。天と地と己が見ている』と言われた
★ すしざんまいを始めたのも、衰退する築地市場を活気づけたいという思いからでした
★ 寿司が広まれば、お米、お酒、食器や包丁と、売れるものも可能性も次々広がっていく
★ カラオケボックス、レンタルビデオ店などいろいろなビジネスをやりました。お弁当ののり弁の白身フライは44年前に私が作った
★ (お母様が)五体満足でいられるのだから、そのことに感謝できる人間にならないといけないと、いつも私たちに言って聞かせました
★ 寿司業界を盛り上げないと寿司職人がいなくなってしまう。潰れるまで続ける覚悟で今日までやってきた
★ ウチだけが儲けようなんて欲張る気は毛頭ない
★ 一度来たお客さんは満足させずには帰さないというのが私の信条
★ (少年時代の思い出は?)小学校に上がる前から始めていたアルバイトです
★ 寿司文化を育てる
★ 父親の葬式の時、4才だったんですが、その時に上空をジェット機が飛んだんです。あれに乗ってみたいな~って思って、15才で航空自衛隊に入隊したんです
★ 職人が減りつつある。このままでは寿司業界がダメになる
★ 外国の方にはやはり日本に来て(お寿司を)食べてもらいたい
★ 私は舌の感覚だけは優れている
★ (すしざんまいについて)ダメなところを言ってもらえればどんどん改善する
★ サバ、イカ、イワシ、アジとか、マグロはなんでも喰っちゃう。実はエビやカニも大好物です
★ 初物は日本人にとって縁起物。特別な価値があるからこそ、すしざんまいで食べてほしい
★ お客様に一番いいマグロを食べてもらいたい
★ 誰もやってこなかった寿司屋の24時間年中無休営業を思いついて実践しました
★ すしざんまいが開店したばかりの12、13年前は、海外の寿司屋の数が2300ほどだった。ところが今はどうです、7万5000店舗もある。寿司文化は確実に世界に広まりましたよ
★ 志なり、燃えるものがあるから人に感動していただけるし、お客さんにも来ていただけるんじゃないかな
★ (自衛隊時代)実家から宿舎に戻るとき、このまま逃げてしまおうかと悩んだ。仲間もみんなそう。でも家族の応援があったから歯を食いしばった
★ 独自の仕入ルートの開拓や流通、衛生管理などのシステムも改善を続けています
★ 時間はとにかく大切なもの
★ 母は施しを嫌がった
★ スキューバダイビングや釣り、ゴルフなどもやります
★ 一番美味いのはアイルランド沖で捕れるマグロです。北緯65度、ロックオールバンクのクロマグロが最高です
★ 父が亡くなってからは生活が急に苦しくなった。しかし母はいくら貧乏になろうとも義理と人情は欠いてはいけないという気概の持ち主で、家族に少しでもいいもの食べさせようと法事や結婚式に行く度にマグロを2、3切れ持ち帰ってきてくれた。賽の目に切ったマグロを家族4人で食べているとき"将来はおふくろにいっぱいマグロを食べさせたい"と強く思った
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