布袋寅泰 名人・名言集
布袋 寅泰(ほてい ともやす、1962年〈昭和37年〉2月1日 )は、
日本のロックミュージシャン、ギタリスト。
群馬県高崎市江木町出身。ロンドン在住。
BOØWY時代のビーイング、nection、ユイ音楽工房、ソロ活動後のIRc2 CORPORATIONを経て、渡英後はDADA MUSICに所属。身長187cm、血液型B型。
自身の著書『秘密』によると、父親は韓国人で韓国にも家庭があり、母は「日本での妻」という立場だったとのこと。貿易商であり1年の大半を国外で過ごしていたため、日本に戻ることはほとんどなく母子家庭同然だったという。紳士的かつ厳格な人物で父がいる際の夕食は家族全員が正装してテーブルにつき、マナーにも厳しかったという。映画『新・仁義なき戦い』に、昌龍の役で出演を決めた理由について、「彼の生い立ちと同じく、僕も父親が韓国人で、アウトサイダーとして生きざるを得なかった」と語っている。
母親は北海道余市町生まれ、樺太(サハリン)育ち、日本とロシアのハーフ、日本国籍である。かつて高崎駅前にてクラブを経営していた。父親とは対照的に天真爛漫な人物で、BOØWY初期は布袋の音楽活動に対し否定的だったが、1986年に初の日本武道館ワンマンライブに招いた際には終演後「あなたならやると信じていたわ」と言われたというエピソードがある。
幼少時代にピアノを始める。母親がハリウッド映画のサウンドトラックやアルゼンチン・タンゴを好んで聴いており、彼女からのリクエストでこれらの楽曲を弾くことも多かったという。14歳の頃、マーク・ボランのポスターを見て感銘を受け、ギターを始める。初めて買ったギターはストラトキャスタータイプで、この時の資金は母親の財布から盗んだ1万円だった。
後に独特のギタースタイル、ビジュアルを確立した大きな要因として、自身の「他人と同じことが大嫌い」という性格を挙げている。前述の通り風変わりな服装で登校したり、クラスメートがレッド・ツェッペリンやディープ・パープルなどに夢中になっているのをよそに、ロキシー・ミュージックやブリジット・フォンテーヌなど当時の王道とは一線を画す音楽を聴き込んでいたのもその性格の現れである。
左肩に宙を羽ばたく鳥とHEAVENという文字のタトゥーがある。これは1987年にベルリンで入れたもので、当時BOØWY解散が決定し一時は音楽業界からの引退も考えたが、最終的に「自分は天国に行くまでギターを弾き続ける」と決意した際の誓いの証とのこと。
1986年1月に、歌手の山下久美子と結婚したが、1997年11月に離婚した。1999年6月に女優・歌手の今井美樹と再婚し、一人娘がいる。その後2004年、FRIDAY (雑誌)に、当時、保坂尚輝の妻であった高岡早紀との関係を写真付きで報じられマスコミを賑わせたが、今井美樹との関係が壊れることはなかった。
2007年10月、パンクロック歌手で芥川賞作家の町田康に暴行し軽傷を負わせたとして、木更津簡易裁判所より傷害罪で罰金30万円の略式命令を受けた。本人は自分が全面的に悪いと非を認めている。
2011年に東日本大震災で被災した宮城県南三陸町にボランティアとして訪れたことを明らかにしている。 2012年8月、ロンドンへと移住。移住前にはブログ上で、長年の夢だったロックの発祥の地であるロンドンで腕試しをする旨を明かした。
悔しさが夢につながる
★ (人生を)面白くするのは自分しかいない
★ 歳をとることは老いていくことじゃなく満ちていくこと
★ 自分のスタイルを貫くためにも「昨日よりも今日」という姿勢は大切
★ 僕がここで後ろ向きになったり諦めたりしたらロックが廃れる
★ プレーヤーとして音楽の真ん中にいられるのがギタリスト
★ 僕が事あるごとにニヤッとできるのは、きっとゴールなんて求めていないからでしょうね
★ 自分の中に取り込んだものが血となり肉となっています
★ 自分のパフォーマンスに今、誇りと自信を持っている
★ エンタテインメントといってもいろいろあるけど、実験的でありながらもポピュラリティに背を向けず、輝くものを作る
★ 最新の布袋が最高の布袋を信念に活動してきました
★ ギターや音楽の持っているロマンティシズムや、スペーシーな奥行き、そしてマジックみたいなものは、ステージの上でしか表現できない
★ この音楽を、どんな思いで奏でているのかを伝えたくて、僕はやっている
★ 勝負するときはスイッチを入れる
★ しっかりといい音を出せば、間違いなく伝わる
★ 感性からこぼれてくるものを音にしている
★ 「遊び」に心を付けて「遊び心」という言葉にすると、それは何事においても大切なものだと思っています
★ 自分の目と身体で感じ取れたことがすごく自信になっている
★ 自分っていうギタリスト、人間が自分らしく進んでいったらどこまで行けるだろう? っていう、旅みたいなもの
★ 自分のビートだけだと偏りがち
★ ロックでありギターの1番カッコいいところをばら撒きたい
★ ホントの自分は風変わりで、ロマンチストで、ファッションを愛し、そして人を煙にまくのが好きなくせに寂しがり屋っていう人間
★ 歌う限りは、とにかく詞を大切にしたい
★ 若かりし頃は音楽に社会的メッセージを乗せることはあまり好きじゃなかった
★ 昔から変わらないとこは変わらない
★ 僕の目標は世界でのセールスや名声ではありません。僕の音楽を楽しみに待っていてくれる世界の仲間に会いにいくこと
★ 19歳のときBOØWYでデビューして以来、職業欄には常に「ギタリスト」と書いてきました
★ 今、目の前にいる一人の心を掴めば、いつか必ず100人に、そして1万人に伝わるはずだ
★ 日本にいる頃は、作品を作り続けるスピードも、追い立てられるようにというか、常に締切が自分を応援してくれるところがあった
★ 音楽業界におけるテクノロジーの進歩は目覚しい
★ ギターと刀は似ている。両手を使って心で切る
★ ゴールより過程を楽しむほう
★ (海外移住の理由の一つ)もう1回、自分に気合いを入れ直したい
★ ロック=ギター
★ 僕の最愛のアーティスト、デービッド・ボウイの最後のアルバム「ブラック・スター」を聴いたとき、作品はアーティストがこの世に生きた証として残るものだから、ライブとは違った意味で大切なものだ、ということに改めて気付かされた
★ 仕事をしているときは、音楽を作り、音楽を伝え、自分自身を探求し、その中で挫折したり喜びを感じたりして生きています
★ 行き詰まった未来の中では、ただうなだれるんじゃなく、愛と勇気が大事
★ 皆さんの記憶の中にあるBOØWYは武道館や東京ドームを満員にしている姿かもしれません。だけど、6年の活動の間、食えるようになったのはじつは後半の数年間
★ 英国人の音作りはディテールより骨格を大切にし、ダイナミックで芯がある
★ 自分の存在を知ってもらうためには、地道な努力が必要です
★ ベルリンは僕の人生の分岐点とも呼べる、特別な場所
★ 自分のアーティスト人生の中で、これこそ自分の代表作だと言い切れる作品、あらゆる面で自分らしいと思える作品として『Paradox』を作れたことは喜びでもあったし、自分のハードルをあげることができた
★ 過去の曲を振り返ってみると、音を詰め込み過ぎていたなと思う
★ 50代であらためて感じるのは、僕は「悔しさ」が好きなんだなってことです
★ 僕は体も大きいし、みんなからは「男とはこうだ」と喝を入れてほしいキャラに見えるようですが、実際には案外ノホホンとしている
★ BOOWYの初期の頃ライブハウスに客が20人しかいなかった
★ ブライアン(セッツァー)は、僕がBOØWYの頃から尊敬しているギタリスト
★ イギリスの時間の流れはとてもゆったりだし、時にイライラするぐらい何も起こらない
★ ギターとの出会いが僕の人生を大きく動かしてくれました
★ メロディも言葉も、もう何もかも全てが想像以上に膨らんでいった
★ 全てのアルバムの間にライブがある
★ 自分に一番ふさわしい夢を持てたことを幸せに思います
★ 自分自身に退屈したらアーティストとしておしまい
★ アーティストっていうのは「創作」と「ライブパフォーマンス」の2つしかありません
★ 周りからは、もう成功しているのだから日本にいれば何の問題もなく過ごせるのにと言われたけど、ミュージシャンとして、世界という新たなステージに挑戦してみたかった
★ スリルのある存在でいたい
★ イギリスに渡ったからって、ギターが急にうまくなるわけじゃないよね(笑)
★ 夢を追うのに遅くはない
★ 夢を追うのに遅くはない
★ 僕が初めてBOØWYというバンドでベルリンの伝説のハンザトン・スタジオにレコーディグのため訪れたのは1985年
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