井村雅代 名人・ 名言集

井村雅代(いむら まさよ)
生年月日:1950年8月16日
出身:大阪府
シンクロナイズドスイミングの指導者
自分が思っているより自分ってもっとできる
★ (練習量について)限界決めないで行け行け、言いますよ
★ 私は勝負師です。勝負に徹して選手を勝たせないと、選手に教えている教育者の理屈が通らない。「人間は理屈をこねずにやればうまくなる。だから自分の才能を信じなさい」といいながら、選手が負けていたら私の理屈が通らない
★ プレッシャーなんか、とことん感じればええねん。そうすれば、がちがちになっても、何にもならないことに気がつきます
★ 不運は考えても無駄。不運なときはこれはどん底やスタート地点やと思って、今よりも一歩前に出る方法を考えるようにします
★ 自分にしかできないことをひとつひとつやれば、絶対よくなるんです
★ うまくいかなかったときは、人のせいにしないで、まずは自分の中に理由を見つけなさい。言い訳とか人のせいにしないで、自分で理由を見つけて解決してけばいい
★ 一番大事なものは、何ものも恐れない攻める気持ち
★ 人間ってすごいと思うのは、気持ちが通じるということです。国なんて関係ない。言葉ではなく大事なのは思いなんです
★ 人間は引っ張られたほうが変わりやすい。その引っ張り役が教師であり、コーチであり、会社の上司であるわけです。その人の熱意や情熱のによって「できるかな」から「できるみたい」に変っていくんです
★ あなたが変わるまで絶対、離れません
★ 指導者は、人を育てるとき、ゴールが見えているかどうかが大事です。ゴールが見えてもいないのに、がんばろうよなんていったい何をがんばるんやって
★ 情熱だけで物事を解決できるならいいけれど、そううまくはいかない。そこに論理や分析がなかったら、物事はいいようには向かない。傾向と対策があって、分析できたら、次に初めてハートの出番です
★ 脚が短いのは構わない。短く見えることがダメなんです。脚が短くても、筋をぎゅーっと伸ばして、人の目をぐーっと上にいくようなオーラを出したら、長く見えるじゃないですか
★ だから、わたしは断ることができなかった。これはいつか日本が世界一になるために大切なことなんだと思ったんです
★ 同調性など、日本流シンクロのよさをアピールするためには、北京五輪は開催国だから絶好の場所だったんです。脚光を浴びるでしょうから
★ もしもわたしが中国からの要請を断ったならば、どうなるだろうと考えたんです。きっと、ロシアのコーチが中国に行くだろう。そうしたら、またロシア流シンクロが脚光を浴びて、日本流シンクロをアピールする場所がなくなるんです
★ ロシアのコーチやアメリカのコーチだって、いろんな国で教えているじゃないですか。シンクロはロシア流、アメリカ流、日本流とテイストが違うんです。だから、日本のコーチだっていっぱい世界に出ていったほうが、日本流がメジャーになっていくわけです
★ 仕事が来たら、まず全力投球で頑張れ。その仕事が自分に合うか合わないか、まず自分が会社に合わせてみて、その色に染まってみてから判断しなさい。半身に構えて仕事をするなと言いたい
★ でも、シンクロをやることを通して何かをつかんでほしい。人間として成長してほしいんです。できないことができるようになる、その達成感を子供たちに味わってほしいんですよ
★ あんたは、これがダメなんやな。じゃ、こっちをやってみい
★ その子に悪いところがあったら叱る、ただそれだけ。コーチとして見たこと、感じたことをきちんとその場で言う
★ 裏でガタガタ言わないこと。練習が終わってから、あの子はどうこうって、女性特有の陰口あるでしょう。あれは絶対しない
★ たとえ一流選手でなくとも、今より絶対うまくしてやりたい。うまくしてやれなかったら、自分自身が許せない
★ 負けたくない。自分の選手は絶対、表彰台に立たせてやりたい
★ 私、当時から子供たちに怒ってたよ(笑)。ただ、無駄な怒り方やった。いまは年いったおかげで、エネルギーをうまく使えるようになった
★ いまにして思えば、確かにあのときが最大の試練だったんやろうね。でも当時は辛いとか考える余裕もなかった。ただぐっと堪えるしかなかった
★ スピンの練習をしていたときです。微妙に合っていないところがあった。感覚としてはわかるけど、具体的に指摘できない。だから、『だいたい合ってるわ』って言ったら2人は、『水の中では違うもんね』って答えた。ムカつきましたよ(笑)。合っていないのが彼女たちにはわかっている。ところがコーチの私には見破れなかった
★ 私が優勝したときのチームメイトを教えていたんですが、デュエットで優勝した双子の姉妹がいたんです。私はデュエットでは3位だったから、力は向こうのほうが上
★ 24歳のとき、大学を卒業して中学校の教師になって1年目にようやく優勝できた。目標を達成したから、すっぱり選手をやめたんです
★ 案の定、次の年に先輩たちがやめたら優勝を逃して、その後は負け続け。あのとき、再び勝つまではシンクロをやめられないと思ったんです。負けっぱなしでやめるのは嫌だった
★ 私自身は大したことない選手だったんですわ。このときは先輩4人がうまい人ばっかりだったから
★ 私は中学1年のときに、浜寺の全課程を卒業したんですが、その時点で、日本水泳とシンクロと水球の3つの種目の内、どれかを選ばなければならず、私はシンクロを選んだんです
★ 私が浜寺に入ったのは小学校4年生のとき。水練学校といっても、プールがあるわけじゃない。海でひたすら遠泳です
★ 泣いて上手になるんやったら、私が代わっていくらでも泣いたげる。泣いてもその分疲れるだけやで!
★ トライせえへんのやったら帰り!
★ そんな顔で審判員がいい点なんてくれるわけない!1回、ちゃんと自分の顔を見てごらん!
★ 限界をつくらない『心の才能』こそ一流選手の条件
★ 一流は環境を全て受け入れて、どうベストにもっていくかを考える
★ 一緒に練習できる仲間がいることはありがたいことなんや
★ 叱ることと、次に叱られないためにはどうしたらいいかを教えることが、いつでもちゃんとワンセットになっていなければなりません
★ 褒めてあげてもいい。でも、頑張っていればいるほど、心を鬼にしてもっときつい課題、きついハードルを設定するのです
★ ずっと自分に言い聞かせていることがあります。「わかりやすいコーチであること」「お天気屋のコーチには絶対ならない」「決してしつこくない」この三つです
★ 自分にとっての聖域はちゃんと残しておくべきです。そうした線引きをきちんとして、自分を守り、自分が自分らしくいることはとても重要です
★ 自分たちが目指すべきものが明確になったら、いま何をしなければならないのかがわかります
★ それをどうやってクリアするかを考え、選手たちに練習させます。大事なことは期限を決めることです
★ コーチが体を張って賢明に教えていたら、誰も文句など言えなくなります
★ 子供の人間形成に大きな意味を持つ「達成感」を味わわせる為にも、強制的にやらせる断固とした態度が絶対に必要なのです
★ 常に今ある自分の一歩先でも、より高いレベルを求めて欲しいから、真剣に叱るのです
★ 私が、オリンピックに出られるシンクロの選手につくり変えていくんです。それが職人だというんです
★ 無駄、不必要な怒り方はせず、ポイントを押さえてガツンと怒る
★ どのタイミングをとらえて叱るかによって、効果は大きく違ってきます。いちばんいいのは、何よりも「現行犯逮捕」です
★ いずれにしても、泣いたからといって、私は一切手加減しません。彼女たちにとっては、泣けば泣くほど練習がきつくなるだけです
★ 適性がないとわかっていながら、「可哀相だから」と本当のことを告げずにやらせ続けるのは、いわば詐欺行為です。本人に勘違いさせているのですから、詐欺以外の何者でもありません
★ だめなものはだめ、とはっきり言う。その点では絶対譲らない。できるまでやらす。それは「きつい」のとは違う
★ 世界中からあの国は楽しそうだねと、世界中のジャッジから心の応援されることが大事
★ モデル体型ばかりで筋肉が無かった
★ 開催国の中国が強くなったら日本のシンクロの素晴らしさをアピールできる
★ 日本と中国が世界一を争う姿それが一番望むところです
★ 叱るとは、あなたはすばらしい人間だと教えること
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