マンシュタイン 名人・名言集
エーリッヒ・フォン・マンシュタイン
Fritz Erich von Lewinski genannt von Manstein
生誕:1887年11月24日
ドイツの陸軍軍人、貴族。最終階級は陸軍元帥
死去:1973年6月10日
第二次世界大戦で活躍した将帥たちの中でもとりわけ有能な将帥として知られる
当時の我々は戦争願望など夢にも思ったこともなく、そんなことには動かされなかった
★ ムッソリーニはいつでも人間的であった
★ 我々、軍人にとっては軍と党の関係において、イタリアとドイツに類似点がある事は誤りようがなかった
★ ムッソリーニが祖国の運命と自らを同一視する事はほとんどなかった
★ ヒトラーは極めて投機性の高い政治を行ったのかも知れないが、そのあらゆる外交行動において、直感に基づき、可能性の限界寸前で自制しているとの印象を与えていた
★ 我々軍人は、そもそもドイツ国民の大部分がそうであったように、あの数年間に得られた国内、国外の成功に魅力されていた
★ ヒトラーは非武装地帯に関する規定の侵犯は自分が敢えて冒したリスクの中でも最大のものだったと、しばしば言明した
★ ヒトラーのような人物がトップにいる体制に対抗する手段は事実上一つしかなかった。クーデター、すなわち実力を以って政府を転覆し「総統」とその主たる取り巻きどもを排除する事である
★ 陸軍総司令部は当時、勝利は軍事力を屈服させることによってのみ達成されるのであり、それこそが戦争を成功裡に終結させる第一歩であらねばならないという立場を取っていた
★ OKWとOKHの並立は、いずれのトップもヒトラーであったにも関わらず、重大な結果をもたらした
★ ヒトラーは政治的な情勢が好都合になった場合には速やかに、だが遅くとも1943年から1945年の時期までにチェコスロヴァキアに進撃するとの企図を初めて議論したのである
★ 個人的な事の全てよりも重要なのは、ヒトラーが陸軍指導部に打撃を加え、自ら国防軍の統帥権を握ったことにより、それからの僅かな期間の内に侵略戦争に繋がっていく政策への道を開いた事だったのである
★ 二つの世界大戦の間の時期にドイツ軍人が追い求め、実現したことはライヒの安全保障をえる為のものであった。ドイツから侵略戦争を起こそうなどという願いはドイツ参謀本部には欠片もなかった
★ クーデター成功の前提条件は、いかなる場合においても国防軍全体の服従と国民大多数の賛成であったろう
★ 彼(ヒトラー)は軍人にとっては国民に承認された国家元首であり、その機能によって最高司令官ということになる。軍に属する者は全て、この最高司令官に忠誠宣誓をなすのだ。
★
★たとえヒトラー個人について、どのような評価をしていようと、その宣誓は軍人を「総統」と縛りつける現実であった
★ ヒンデンブルクに精神的な活力が残されていたかというと、1934年春までは、その衰退は見られなかったと私は信じる
★ ヒトラーの興味はあらゆる技術上の細目にまで及んでいた
★ 国土の強化に対する陸軍参謀本部の要求を決めたのもまた「赤号」「緑号」開発計画を確定するにあたって働いたのと同様の思考だった
★ 憎悪にまで高まった憤激、恐怖まで向かった不安は、政治においては悪しき相談役でしかない
★ ナチス支配の最初の一年においる政治的な事件と諸決定に関しては、私はコルベルクの大隊長として、つまり辺緑の地にあっても見聞したに過ぎなかった
★ ドイツ将校を動かしてきたのは祖国愛であり、軍人という天職に対する献身であった
★ 将校の世界観という見地からは、軍司令部の幕僚たちは一致団結していた
★ ドイツの若者を祖国を愛する有能な男子に教育する事に寄与する
★ ソ連将兵は一般に好印象を与えた。彼らは概ね、苦しみに慣れている
★ 私にとって特に貴重だったのは情報参謀ツヴァーデ少佐の協力だった
★ 不確かな情勢にあっても、あらゆる可能性に備えておくのは、最高司令部の当然の義務
★ 我々はハンガリー軍ならびにブルガリア軍が1919年講和条約の強制によって負わされた束縛を外そうと努力し、しかも成功しつつあるとの知見を得て、ドイツに戻った(ハンガリー軍ならびにブルガリア軍の演習に参加していた)
★ 一般兵役制の再導入によって緒に就いた陸軍拡張に関しては二つの見解が相対した。ヒトラーは可及的速やかに再軍備を行う事を欲した。他方、陸軍総司令部は、いかなる戦争であろうと、それによってライヒは多正面戦争を強いられる危険に直面するとの見解を堅持していた
★ 1938年にヒトラーが突如態度を変えたことは、よく知られていよう。彼がひとたび口にしたからには「西方防壁」は最短時間で完成させることとされた 。
★
★ヒトラーは全く正当化できないようなやり口で建築の指揮権を陸軍からトットに移譲したのである
★ ヒトラーは実務的且つ明確に中庸を得たことをしゃべったのである
★ 兵士の大多数は分隊を、分隊長の多くは小隊を、有能な小隊長は中隊や砲兵中隊を指揮できるように、平時に軍の将兵を鍛え上げておく
★ 幼年学校で叩き込まれたのは、際立った名誉観念、たとえ義務が重荷となろうとも服従を尽くすこと、克己心、そして何よりも義務観念により恐れる事を克服すること、確固不動の戦友精神だった
★ 私が育った環境はプロイセン軍人の世界であった
★ (幼少時代)気性としては素早い理解力を持った、かなり活発な子どもだった
★ 敗北を認めたときにのみ、戦争は敗北する
★ プロイセン軍人は反逆しない
★
人気名言ランキング
今月ランキング
- 23票 円谷英二(つぶらや えいじ)<br> 本名:円谷英一...
- 18票 土方歳三(ひじかた としぞう) 生誕:天保6年5月...
- 17票 クロちゃん<br> 本名は黒川 明人(くろかわ あき...
- 15票【世界一IQが高い人】 マリリン・ボス・サバント...
- 14票 貴景勝 光信(たかけいしょう みつのぶ)<br >...
- 11票 井上尚弥(いのうえ なおや)<br>生誕:1993年4月1...
- 10票 ジェシー・ローリストン・リバモア(Jesse Laurist...
- 10票HIKAKIN(ヒカキン)<br> 生誕:1989年4月21日<br> ...
- 9票 立浪和義(たつなみ かずよし)<br > 生誕:19...
- 9票 アン・サリヴァンことジョアンナ(アン)・マンズフ...