馬場俊英 名人・ 名言集

馬場俊英(ばば としひで)
生誕:1967年3月20日
出身:埼玉県
シンガーソングライター
「ありがとう」にしても、言葉自体は記号みたいなものだと思うんですよ。でも「誰が、いつ、どんなときに、どんなふうに、誰に対して」ということを描くことで、使い古された言葉がちゃんと意味を持つ。そういう曲の作り方ができたら、すごくいいだろうなって思ってますね
★ 音楽に関しても、確かに味付けはシンプルですよね。変わったスパイスを使うんじゃなくて、近所のスーパーに売ってる食材で作るというか(笑)。そういう音楽だなとは思います
★ 楽曲を作っていると歌詞もメロディも、答えはひとつじゃないんだなっていつも思うんですよ
★ 何人かで一緒にやっていく場合、そのときの環境、周りの人たちとの関係によって、進んでいく方向も変わってくるんですよね
★ 音楽活動をしていく上で、何を分母にするか?ということだと思うんですよ。「ひとりだけでやる」のと、「一緒に楽曲を作る人、それをお客さんに届けてくれる人を含めてひとつの母体として考える」のでは、ずいぶん違いますから
★ 「楽しかった」「いい経験ができた」と思えば次も来てくれるだろうし、「ちょっと違ったな」と思えばおそらく次は来てくれない。それは音楽に詳しい人もそうでない人も同じなんですよね
★ たった1人でも理解者がいてくれて「次も期待してるよ」って言ってくれて。その気持ちは裏切れないし「もっとすごいアルバムができたね」って言ってもらいたいなって
★ 何もなくなって、ペンペン草も生えないような場所で、自分の力で打ち立てるもの──それが自分らしさだと思うんですよね
★ 「これもダメ」「あれもダメ」って剥がされていくうちに“自分”になっていくんですよね。で、最後に残ったものが自分のスタイルになっていくんだなって
★ 自分自分に対する希望的なイメージってあるじゃないですか。「もっとできるはずだ」とか「こういう自分でありたい」とか。僕は若い頃、ロックスターと言われるようなボーカリストになりたかったんですよ(笑)
★ 意見をいくつも並べるんじゃなくて、ひとつの答えを選ぶことが作品を作るということなんだな、と
★ 以前は何かを言い切るスタイルではなかったんです。「こういうこともあるけど、こんな考え方もあるよね」っていう感じだった
★ 自分が作りたい味もあるんだけど、それをおいしいって言ってくれるお客さんが少ないんだったら、それを強引に出すわけにもいかないじゃないですか。そこはやっぱり、みんなが喜ぶようなものを作っていかないと……。やっぱり「おいしいね」って言われたほうがうれしいですから
★ 少しずつお客さんが増えていくにつれて、“聴いてくれる人に届ける”ということの大切さに気付き始めて
★ (自分自身のリアルな思いを曲に投影するというスタイルについて)20代のときはそうじゃなかった気がしますね。なんていうか、ちょっとプラモデルを作るような感覚に近かったんですよ。モノができるのがうれしいっていう
★ その時期に思っていたことがわりとダイレクトに曲の中に出ているというか。それはね、自分でも改めて感じました
★ 代表曲ってなんだろう?って考えたときに、自分が好きな曲っていうのもあるんですけど、それよりもお客さんに支持された曲や、結果というか客観的な目線で浮かんでくる曲だよなって
★ 自由にやれと言われても急にすぐには何をやればいいかわからないし、それはもう、実際に曲を作りながら確かめるしかないんですけどね
★ アルバムを10枚作ってきて、「ここからどんな音楽をやっていこうか」という最初の一歩であり、新しいスタートだと思ってるんですよ
★ 前向きに考えて、楽しさを見つけたり、うまく進んでいく工夫をすることが大事なのかな、と。お互いに補い合うっていうのかな。やっぱりキーポイントは暮らしの中にたくさんあると思いますね
★ 男女のことにしても、お互いに譲れないことあるとして、それを根本的に解決するのは難しいと思うんです。そんなに変わらないですからね、人間は。だから面倒なこともけっこうあるんだけど、そこで諦めたら終わりだし、工夫できるところはあるはずなんですよね
★ 「諦める」っていうと、「よし、やめよう」という大きい決断みたいな感じがするかもしれないけど、そうじゃなくてわりと些細なところに潜んでると思うんです
★ (「キャンディー工場」は誰に対するメッセージ?)自分の目の届く範囲というか、一緒に仕事をしている人たち、ライブに来てくれるファンの人たちに向けているところはあると思います。僕の音楽を聴いてくれてる人は、僕と同世代というか、40代くらいの方が多いんですよね
★ ヒーローの服を着たおじさんが、マントを付けて夕陽の中を走るっていう——その写真を撮ったときに「すごくいいな。最高だな」って思ったんです。どこにでもいる中年のおじさんが実はヒーローで、そういう人が街中にいる。そこに本質を見た気がしたというか、そこからアルバムの景色が広がっていったんですよ
★ 「石ころ伝説」という曲もあるんですが、石ころというのはつまり、我々なんですよ。それを包み込むように「青空」という曲があって、その間に「預金通帳」みたいなリアルライフがある
★ フィニッシュを自分で最初から決めつけないということだと思います。きっちり作り込んだ曲もあるし、バーッとやった曲もあって、けっこうデコボコなんですけど、その1つひとつがトライなので。やってみないとわからないですからね
★ セッションを楽しめるときはそれでいいし、「自分の思った通りにならないとイヤだ」と思えば、そのときは自分でやるほうがいいだろうし。気分に合うやり方でできれば
★ 自分の思ってることって、100%は伝わらないじゃないですか。でもそれは当たり前だし、お互いにのりしろを持って、その部分を楽しもうとするのが大事というか……
★ 「全部自分でやる」という制約があったほうが面白いじゃないですか。スポーツだって、ルールがあるからこそ工夫が生まれて、そこで技が磨かれていくわけで
★ 今回のアルバムには「未完成」というキーワードもあったんですよ。何を持って完成か?っていうのは、実はないんですよね
★ 今回のアルバムを作っていく過程には、“かき混ぜる”みたいな感じがあったんですよね
★ お金の話というのは誰にでもついて回るものですが、歌にするとどうしても下品な感じになってしまうというか。そこはチャレンジでしたね
★ The Beatlesに「Taxman」という曲があって、税金のことを歌ってるんですけど、ああいうテーマってさじ加減がすごく難しいんじゃないかなって
★ アルバムの中に「預金通帳の歌」という曲があるんですけど、それも「お金のことってすごく歌いにくいよね」という話から始まったんですよ
★ 最初は「EPシリーズをまとめながら10曲入りくらいのアルバムにしよう」と思ってたんですよ。でも、新しい曲を作ってるうちに「1枚では収まらないな」ということが途中でわかって。「これを入れないのはもったいない」と思って2枚組になったんです
★ (高校球児へ)もう10年以上前の汗が染み込んだ古いグローブの中で汗をかいた手のひらが何か掴もうとしているんだ
★ (「弱い虫」について)もしもこの主人公が自分だとしたらどう考えてどう生きるか。そう考えた時、自分にとって大切なものが見えて来る気がしました。日々を真面目に生きる多くの方に観ていただきたいです
★ きっとわかってくれる人がいる
★ 逃げても負けても良いのだから生きることを投げ出してはいけない
★ 時に不条理な現実の前でやりきれない気持ちになることもあるけれど腐ってはいけない
★ 一人ひとりの人間はみな弱い存在
★ 最近、40代、50代の方にお会いすることが多いのですが、彼らもやっぱり、自分がどう生きていくのか?という悩みはつきず、むしろ深まっている
★ 僕は子供の頃に「大人になったらいろんなコツがわかって、もう悩むことなんてないんだろうな」と思っていた。でも自分が大人になると全くそんなことはないし、初めて体験することも多く戸惑ってばかりです
★ 平凡に思えた日常の中に、たくさんのドラマがある。誰の日常でも、一瞬一瞬をスライドショーのように切り取ったら、そこには必ずかけがえのないものが封じ込められているはず
★ CDが1枚売れることや、聴いてもらえることがこれほどうれしいのかと、改めて自分が音楽を行う原点に触れた思いでした
★ 通販も行ったのですが、注文があると一つ一つ梱包しながら「これが着いたら、この人は僕の曲を聴くんだよな」とわくわくして(笑)
★ CDは作ったらすぐ店頭に並ぶと思っていましたが、自分で製作、営業を兼ねてみると、音楽が人に届くまではなんて多くの人の汗があるんだ、と感じられた
★ ふとラジオなどから自分の曲が流れてくるのを耳にした時、「まだ自分は世間とつながっている、僕はここにいてもいいんだ」と、もう少しがんばろうと思えました
★ 「こういうのいらないんだよね」と言われるたび、「君はいなくてもいい」と聞こえ、悔しくて情けなくて歩いていて涙がとまらなかったです
★ 世間は厳しくて。自分が手にしているものはこれまでの自分のすべてであり、未来への希望の象徴なのに、聴くはおろか手に取ってさえもらえない
★ CDをかばんにつめ、意気揚々とショップ回りに出かけていったんです。自分は売れなくともメジャーで活動していた人間だから、店に行ったら「馬場さん新しい曲作ったんですね」と喜んでもらえると勘違いしてね
★ 曲を作り、自宅の機材で録音して。工場や印刷会社に「CD作りたいんですが」と電話したりして、手探りでしたが、自信作ができた時はうれしかったですね
★ 一緒にやっていたスタッフが、いろいろ音楽の仕事を振ってくれたので、歌える場所があれば居酒屋でも屋形船でも喜んで行きました
★ 確かに30代は思い通りにならない時期が続きました。僕は18歳で音楽を志して上京し、28歳でデビューしたのですが、あまりいい結果を出せず、32歳で契約が終了しました
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