野口みずき 名人・名言集
野口 みずき(のぐち みずき)
生年月日:1978年7月3日
出身:三重県伊勢市
女性長距離走・マラソン選手
練習は裏切らない
★ 今日できることは明日やろう、うん
★ 1万から3万って言ったらね、3万の物が欲しいのよ女の子は!
★ 草むらから“サササササ〜ベーンッ!”って跳びはねたんです。去年見たのとは違った。新種ですよ、あれは
★ どんなことでも継続して、努力していけば力になります。だから、金メダルはずっしりと重いんです
★ 4年間で地球を何周か走りましたね
★ 練習は精神的にも肉体的にもきつい。ただ目標を達成できたときの充実感、達成感、喜びはすごい
★ いつも死ぬ気でやってますから
★ 2年生、3年生になるにつれて、市内の駅伝に出るようになって、だんだん好きになっていったと思います
★ 最初は練習嫌いで、さぼったりしてました。友達に誘われたような形で入ったので
★ (岩崎恭子について)中学生なのに金メダルを取ったからすごいと思って、見ていました
★ そのとき(バルセロナオリンピック)は有森さんが印象に残っています。違う競技では、岩崎恭子さん
★ 初めて知ったのは、バルセロナオリンピックでしょうか
★ 小さい頃の夢は、今の競技や仕事に結びついていなくて、何か絵を描くとか、色が好きなのでヘアメークアーティストとかです
★ 高校のときは、全国インターハイに出ても予選落ちみたいな選手でした。県では1番、東海地区大会でも5番ぐらいで、全国で戦えるレベルではなかったのですが…
★ 高校3年生の時にワコールの真木和選手が、確か名古屋で初マラソンだったと思うのですが、走っているのをテレビで見て刺激を受け、憧れました。ワコール以外にも話は来ていたのですが、憧れの先輩がいるところで走りたいなと思って
★ いえ、頭角は現していないですよ、全然。市内では上の方だったと思いますが、県では8番くらいで、そんなにパッとしませんでした。でも高校の先生が見てくれていて宇治山田商業高校に誘われたという感じです
★ 泳げません
★ 球技が好きでした
★ 走るのは嫌いなほうではなかったので、運動会の100m走で、結構1番とか2番になりましたが、別にそこまで好きとは思っていなかったです
★ 中学時代に友人に誘われて陸上を始めたのが、きっかけです
★ 英語と日本語でサインを書いて
★ 返します。ちゃんと返信用の封筒が入れてくれてあるんです
★ ドイツの人とか、フランスの人とかいろんなところからファンレターみたいな感じで、来るときがあります
★ 日本だけにとどまらず、いろんな国の人に見てもらいたいと漠然と思ったので。以前メキシコで練習しているときに、柔道を教えている女の先生が私の走りを見て、『小さいのにあなたが走っていると、大きく見える』と言ってすごく興味を持たれてたんです。レースのとき応援に来てくれたらしくて、そのあとも手紙をくれたり、全然それっきりないんですが。私の走りでいろんなことを感じてくれるんだなって、そういうのがすごく嬉しくて
★ 強さの秘密。負けず嫌いですかね。すぐには答えられませんけど、負けず嫌いだから、ここまで走っていられるかなと
★ そうですね、はい。とりあえずいまは北京のことをしっかりと
★ 次の日はもしかしたら足が痛くて走れなくなっているとか、何が起こるか分からない。私がこうやってここまで陸上を続けられたのも、全然思ってなかったし、分からなかった。何が起こるか分からないから、先のことを考えるほうではないですね
★ 今は夢の途中なので、向かっているところです
★ 本当に競技をやってる自分自身だけじゃなくて、生まれてからずっと一人ではないじゃないですか。両親がいて、友達がいて。いろんな人の支えがあって生きているからこそ、人生って面白い。夢を叶えるためにはいろんな人が支えになってくれるというのが、すごく共感できて
★ キツイです。行ってないんでわかんないですけど。現地に行ってどう思うかですね
★ 環境問題とかはどうしようもないと思うんで。だけど工場とかはストップすると聞いているので。みんな同じ状況ですので、もう気にしないです
★ ナショナル・ジェオグラフィック・チャンネルで、低空飛行してるペンギンを見て、それを空飛ぶって
★ つちのこらしいものは、それもサンモリッツで
★ UFOは私だけじゃなくて、トレーナーの人も
★ 私は日本代表で試合に臨む限りは、100%力を発揮したいと思うし、メダルは何色とは言いませんけど、獲得圏内には行きたいなと思っているだけです、平常心で
★ やっぱり2連覇という期待をすごく大きくされているんですけど
★ (金メダルは)見てないです。しまったままになってますね
★ その前の年の世界陸上よりも脚光を浴びることが多くなったんですけど、私はそれよりも色々な経験をすることが出来たのでよかった。それにはまずオリンピックに出てよかった。金メダル取れてよかったなって思えるだけで、キラキラしたものはあまり自分の中には
★ オリンピックから得たものは、メダルを取ることが出来て、帰ってきて、ちょっと忙しかったですが、行事に出てマナーを学んだり、いろんな子ども達がいる行事に参加したり、色々な経験をすることが自分の心に成長をもたらしてくれたかなと思うんです
★ 選手村にも入ってなかったし、暑かったのでアテネ入りしたのも4日前で、その後もバタバタしていたので、レースのことしか覚えてないです
★ 日本のためにっていう感じではないですね。でも根本的にはあると思うんです。日本代表として戦っているんだから、誇りを持っています
★ 私は世界中の人に自分の走りを見てもらいたいと。監督やコーチとか、他のシューズを作ってくれる人とか、いろんな人に感謝の気持ちを表しているので
★ サンモリッツはヨーロッパの強い選手が大勢合宿に来るので、そういう選手の姿勢とか練習を見れて、すごくいいし、やっぱり違いますね。一緒の場所で練習することもありますし
★ 監督は強ければいいという考えの人ではないです
★ 食べ方とかマナーとかもちゃんとすること。昔から監督はおっしゃっていたのですが、ありがたいなと思うことが多々あります。教えてもらって良かったということが
★ 監督は陸上競技だけじゃなくて、生活面でも一人の女性として、しっかりしなくちゃいけないというのをすごく持っていて、それがお父さんみたいなんですけど。挨拶はちゃんとしたほうがいいという教えは受けているので、挨拶はちゃんと出来る方だと思うのですが
★ 外国の人たちは知らない人でも挨拶して、フレンドリーに話しかけてくれるので、私もそうなれたらいいなと思います。自然におはようございますが言えるような
★ 雑食なんで(笑)
★ 食材っていっても、ふりかけとか調味料みたいなものを持って行ったりするぐらいで、むこうの食べ物を楽しむほうですね
★ でもいいですよ。中国で合宿したり、アメリカのボルダーで合宿したりしても。でも外国に行っても日本食が恋しくなるということはあまりないんです
★ 自信にはなりましたね。どんなところでもやっていけるかなっていう、手ごたえみたいなものは掴めた気がします
★ すぐ緊張の糸がほぐれて、そのまま先頭を走ってしまえって感じで
★ そのままずっと先頭にいて、最後ロルーペ選手(ケニア)に負けてしまいましたけど。周回のたびにお祭りみたいな感じでアナウンサーが『ミズキ・ノグチ』と言ってくれるのが、すごくワクワクして嬉しくて
★ 私は世界大会が大好きだったから、7キロぐらいの周回で走っていたんですけど、先頭だったんですよ。最初は「外人についていけばいいや、初めての世界大会だし」と思ってスタートしたら私が先頭なんですよ。なんだこんなもんだったのかと
★ 最初に海外に行ったのは1999年のイタリアのシチリア島であった世界ハーフマラソン大会が初めてでした
★ はい、いつもそばに
★ だから監督、コーチというより、私にとってはお父さんとお兄ちゃんって感じです
★ 三人四脚ですね
★ それはハーフマラソンを何本か安定して走れるようになってからです。もしマラソンを走ったらどれぐらいで走れるのかというのがあったし、自分の中でチャレンジしたい、監督やコーチもきっとチャレンジさせたいと思っていると
★
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