戸田奈津子 名人・名言集
戸田奈津子(とだ なつこ)
生誕:1936年7月3日
出身:東京都
映画字幕翻訳家、通訳。 映画翻訳家協会元会長
引用:sankei co jp
20世紀にいい映画を年間40本ペースで翻訳してきて、もう十分働きました。字幕で新しい志を燃やすというより、これからは少しゆとりが欲しいですね
★ この仕事のために、他のものをいろいろ犠牲にしてきました。結婚もしなかったし、子どもも作らなかった。とにかく仕事一途でした
★ その人にとっての「好きなこと」「才能」って、子どもの頃の自分を思い出すときっと見えてくるはずです
★ 私は、やりたいことを見つけられない若者が多いことに、いささか腹を立てているんですよ。やりたいことを見つけられないのは、自分を分かっていないからじゃないかしら
★ 何であってもやりたいことや目的意識があるなら、それにフォーカスしてやるべき
★ 英語学習は必要な人にとっては必要だけど、そういう人生を考えていないのなら、しゃかりきに英語をやる必要はないというのが私の考え方です。あくまで英語は道具(ツール)で、最終ゴールではありませんからね
★ モチベーションは「それでもやはり映画が好き」ということです
★ とにかく1週間ほどで仕上げる。その過程で分からない部分があれば本で調べる、または専門家に聞く。そして原稿提出までに疑問の箇所を解決するというやり方をしています
★ 最近にも、この冬の大作映画の翻訳の依頼が舞い込んできて、大慌てしました。どういう内容か事前通達もなく、突然、依頼が舞い込んでくるんですよ? しかも1週間で仕上げるのが通例。下準備などできるものではありません
★ 送られてきたデータは、CG映画の場合、1週間から10日も経てばどんどん途中で絵が変更・追加されていくんです。だから翻訳もその都度調整を入れなきゃならない。そういう調整が封切のギリギリまで繰り広げられます。字幕翻訳者にとっては大変プレッシャーの厳しい時代になりました
★ (当時は)基本的にはたった一度観ただけで、翻訳にとりかからねばなりませんでした。神業のようですが、スケジュール的に何度も見返す時間は与えられないのです
★ 英語はあくまで映画の世界に近づくための「手段」であって、それ自体が「目的」ではなかったです
★ 私の英語学習は「二本立て」と言うのが正しいのかもしれません。学校が教えてくれるフォーマルな英語と、映画から学ぶ生きた英語。両面で詰め込んだ英語の知識が、結果的には役に立ったんでしょうね
★ 若い皆さんは笑うかもしれませんが、当時は「今日のこの機会を逃したら、もう一生観ることはできない」。そういう切ない意気込みで(映画を)観ていたのです
★ 学校の英語は基本的で固い。くだけた日常会話とか、流行語・若者言葉は教科書では学べません。そういうものは全部映画から学びました。当時はビデオやDVDは存在しませんから、映画館で見るのが唯一のチャンス。今みたいに、劇場で観て面白かったから TSUTAYA でDVDをレンタルする、なんてできないですからね
★ 映画が好きだったから、「映画で耳にする英語を知りたい」というのが最大のモチベーションでした。つまり “映画あっての英語” だったのです
★ そんながむしゃらに勉強した経験はありません。人並みに頑張ったという感じでしょうか。学校の勉強は基本的に退屈でしょう? 私も特に英語の授業が好きだったわけではないんですよ
★ (海外経験ゼロ・英会話の経験もゼロだったのに、通訳の仕事ができるまでになったのは)英語の読み書きを仕事にしていたし、ボキャブラリーの蓄積があったからだと思います。英会話の勉強は読み書きの基礎があれば、後はプラクティス、「実践」です。実際にしゃべって経験を積む他ありません
★ 意気込んで仕事に臨み、原稿も推敲に推敲を重ねました。でも映画の完全版を初めて試写室で観たときに、愕然としました。下手だったのです。字幕はただ英文を日本語にするだけではない。画面に違和感なく調和する日本語訳が必要で、この感覚はやってみないと分からないのです。この時点で字幕翻訳の仕事はまだまだ少なく、それだけで食べていくことはできませんでした
★ フランソワ・トリュフォーの『野生の少年』の翻訳を依頼されました。これが私の初めての字幕翻訳の仕事になります。大学を卒業して、ほぼ10年が経っていました
★ (会見の通訳について)自分としては、決して合格点をつけられる出来映えではありませんでした。これでクビだと思うほどに落ち込みましたね。でもどういうわけかクビにならず、これを機に、通訳の依頼が舞い込むようになったのです
★ ある日、転機となる出来事が起こりました。日本ユナイト映画の宣伝部長をしていた水野晴郎さんから、急遽来日が決定した海外映画プロデューサーの会見の通訳を依頼されたんです
★ 字幕翻訳家の門は狭く、そうやすやすと入れるものではありません。結局、学校の紹介でとりあえず第一生命の社長秘書室に腰掛けのつもりで就職しました
★ 業界へのパイプもないですし、そもそも正規のルートで翻訳家になる道はありませんでした。唯一の手がかりは、映画の中でクレジットが出てくる翻訳者に直談判すること
★ 就職活動のとき、友人に「あなたは何になりたいの?」と聞かれて、無意識に出たのが「字幕の翻訳をやりたい」いう答えでした
★ 高校生の頃は、おこづかいを切り詰めて映画館に通いました。新作の映画なんて当時の学生にとっては高嶺の花でしたから、3本や4本立てで100円とか、50円で観られる名画座によく行きましたね。大学生になってからは、友達に授業の代返をお願いして映画を観に行っていました
★ 子どもの頃は本の虫でした。とにかく物語の世界が好きだったんです。本を読んだという経験が今の私の財産になっていると思っています
★ 人生は1回しかないんだから、いやいや仕事をすることほどバカげた人生はないと思うんです。自分が好きなことをやる。しかも職業としてそれができたら最高だと思う
★ おかげさまで本当に長い間、たくさんの作品の翻訳をやりましたね。やめたいなんて思ったことは一度もないし、いつも楽しかった
★ 字幕翻訳者になることをあきらめられなかったのは、映画が好きで、字幕翻訳が私にあっているという直感があったからです。その確信は絶対に揺るぎませんでした
★ うまい字幕というのは、最後まで字を読んだという意識を観客に抱かせないもの。もし字幕に意識がいくなら、それは字幕が下手なの。だから、字幕をやって「どうだ、うまいだろう!」と思うことはないですね
★ まるで旅をするように、それぞれが個性豊かな映画の世界を散策できる。字幕という仕事は、それがいちばんの魅力です
★ 「もっと別な生き方があったんじゃないか」と、後悔の気持ちを抱いたことは1度もありません。なぜなら、「好きなことをやる」ことが、私の求めるいちばんの幸せだったからです
★ 妥協するといつか後悔するだろうという予感がありました。それよりは、たとえ無に賭けるようなものでも、自分の選んだ道を進みたい。この世の中、飢え死にすることはないんだから、自分のやりたいことを貫こう。30歳を目前に控えた私の胸にあったのは、ただその決意だけでした
★ 視聴覚教育などいうことばもない時代で、聞いたり話したりする訓練はゼロ。最初は映画を見ていて「サンキュー」の一言が聞きとれてもうれしい、という情けない耳でした。それがふた言になり、三言になり……好きなスターの言っているセリフを、もっと聞き取りたいという映画ファンとしての気持ちが、英語を勉強する励みにつながっていったのだと思います
★ 映画字幕は翻訳ではない
★ 現実を見据えつつ、好きなことに打ち込む。結果がついてきたら、ラッキー。そう思って前を向き続ける人生もまた、素敵ではないでしょうか
★ 無理をしないことも大切
★ 夢や目標を成就させるには、何よりもまずその対象が好きなことが大切。好きでないと、長く続けられない
★ 「追い続けていると、夢はいつか必ず叶う」などと言う人がいます。でもこれは、非常に危険な考え方。夢が叶うか叶わないかは、五分五分。追い続けても、叶わずじまいで終わってしまう事も、決して珍しくありません。「叶わないこともある」という現実を直視することも大事
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