仏教入門4章【中国で独自の発展】


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  • 概要: 中国仏教史0 はじめに 中国において、仏教はインドからの外来思想です。中国の仏教文化は、儒教・道教など様々な中国思想との交叉の下、

    中国仏教史


    0. はじめに

     中国において、仏教はインドからの外来思想です。中国の仏教文化は、儒教・道教など様々な中国思想との交叉の下、特に翻訳を通じて受容され、体系化されていきました。 そこで、翻訳の特徴にもとづいた以下の四つの区分によって、その過程を紐解いていきましょう。

    1. 古訳時代(中国への仏教の流入)

     中国への仏教の伝来に関しては、後漢の明帝(めいてい)が自身の見た夢にもとづいて求法の使者を派遣した「明帝感夢求法説(めいていかんむぐほうせつ)」をはじめとして、 様々な説があります。どれも伝説の域を出ませんが、中国の歴史書『三国志』にもとづくと、仏教の初伝は紀元前後の漢の時代となります。 ガンダーラ(現在のパキスタンやアフガニスタン)からカラコルム山脈を越え、シルクロードを通ってもたらされました。


     この時代の翻訳者は、安世高(あんせいこう)や支謙(しけん)など西域から来朝した渡来人がほとんどでした。 なお、翻訳を一番多く行ったのは竺法護(じくほうご)で、約150部300巻ともいわれています。彼らが訳出した経典は、上座部(じょうざぶ)仏教(小乗仏教)や初期大乗仏教の経典などで、 インドでは異なった時期に編纂されたものが同時に伝えられたため、伝来当初から、中国人の仏教理解には混乱がありました。 さらに、儒教をはじめとした既存の思想の存在や中華思想などの理由から、外来宗教である仏教の定着は容易ではありませんでした。 そこで、仏教者たちは、儒教や道教の思想を借用して仏教を翻訳・解釈することにより、その存在の保持と拡大をはかりました。 この風潮は、後の老荘思想(ろうそうしそう)によって仏教を理解する「格義(かくぎ)仏教」を生み出すこととなります。 また、経典に似せたかたちで中国独自に撰述された経典(「中国撰述経典」)も多く生まれました。

    2. 旧訳(くやく)時代(中国仏教の開花)

     漢が滅亡(200年)してから隋の成立(618年)までの約400年の間、多くの国々が乱立します。 特に、漢の滅亡後は、非漢民族国家の成立などにより、儒教の権威は衰退し、王弼(おうひつ)(226-249年)や何旻(かあん)(190-249年)らによる新しい学問を求める動きが起こります。 彼らは老子や荘子のいう「無為自然」を重視し、この新しい思想運動や自由な生活態度が晋代に受け入れられ、漢代の儒教思想とはまた異なった新しい思想が生まれることとなったのです。 当時の思想家たちは、新しく流入・翻訳された仏典にも関心を示し、『般若経』や『維摩経』の「空」の思想を、老子や荘子の「無」の思想と類似したものとして解釈しました。 このことを「格義仏教」といいますが、ここにおいて、外来の仏教が中国に受容される精神的土壌が育成されたのです。


     そして、三国・魏や晋の時代から、民間信仰としての道教的な仏教と合わせて、知識人による哲学的な仏教が開花していきます。 代表的な仏教者・翻訳者としては、仏図澄(ぶっとちょう)(232-348年)と鳩摩羅什(くまらじゅう)(344-413年または350-409年)を挙げることが出来ます。 仏図澄は、南北朝時代の北朝、五胡十六国時代の310年、亀茲国(クチャ)から洛陽(らくよう)へやって来ました。 彼は翻訳もせず、著作も残さなかった人物ですが、霊能者としての神通力や呪術に長けており、支配階級・民衆双方への教化に活躍しました。 その布教活動は30年、建立寺院は893寺、弟子一万人ともいわれています。


     そして、彼の弟子の道安(どうあん)(312-385年)、 道安の弟子の廬山(ろざん)の慧遠(えおん)(334-416年)は、中国人として初めて仏教教団を組織しました。 道安は釈道安ともいいますが、仏教伝来当初の中国では、出家した者は受戒者の姓を受け継ぐのが慣例でした。 しかし、彼は仏弟子としての自覚から釈尊の釈の字を姓とし、以降、出家者が釈の一字を冠することが一般化しました。 また、慧遠は、僧侶が王権の下に隷属し王者に対して礼を致すべしとの主張に対し、『沙門不敬王者論(しょうもんふきょうおうじゃろん)』を著し、出家法と世間法の違いを明らかにしました。


     上述の彼らの他、中国仏教を受容の時代から成長・発展の時代へと転向せしめた原動力となったのは、やはり鳩摩羅什です。 彼は、五胡十六国時代の401年、後秦(こうしん)の姚興(ようこう)の招聘を受けて長安にやって来ました。 以降12年間の間に訳出した経典は、35部294巻、74部384巻ともいわれていますが、彼がもっとも力を注いだのが般若系の大乗経典と中観部の論書で、 これらの羅什によって訳出された経典は後に大きな影響を与えました。 『中論(ちゅうろん)』『百論(ひゃくろん)』『十二門論(じゅうにもんろん)』は南方に伝えられて三論宗(さんろんしゅう)の形成を促し、 『法華経』『成実論(じょうじつろん)』はそれぞれ天台宗・成実宗の基礎となりました。 また、『阿弥陀経』や『十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)』は浄土教の所依の経典となり、『坐禅三昧経(ざぜんざんまいきょう)』は菩薩禅を隆盛させました。 このように、羅什の後の時代に、様々な学派や宗派というかたちで中国独自の仏教が開花することになりますが、そこにおいて彼は最大の功績者だったのです。


     その他、仏教を奨励した南朝の梁の武帝(502年即位)によって、インドから真諦(しんだい)や達磨(だるま)が招かれました。 真諦は羅什同様、多くの経典を翻訳しましたが、唯識関係の論書を多く翻訳し、彼の翻訳をもとに摂論宗(しょうろんしゅう)が興りました。 達磨は、禅を伝え、中国独自の宗派・禅宗として、以降もっとも長く栄えることになります。

    3. 新訳時代(中国仏教の成熟)

     『西遊記』のモチーフにもなった玄奘(げんじょう)(602-664年)は、仏教教学を研究中、特に唯識学をインドの原典にもとづいて研究せんとの志を立て、 629年からインドへの求法の旅へと出かけます。そして、中インドのナーランダー僧院において唯識学を学んだ後、経典を持ち帰り(645年)、朝廷の庇護の下に原典に忠実に翻訳し、 新しい仏教思想を世に伝えたことで、諸宗・諸学派の研究もすすみ、中国仏教の最盛期ともいえる時代が訪れます。 なお、玄奘以外の中国仏教の翻訳者たちが翻訳した経典の総量が469部1222巻であるのに対し、玄奘はひとりで76部1347巻を翻訳しました。 また、彼の旅行記『大唐西域記(だいとうさいいきき)』は、7世紀前半の中央アジアやインドの地理・風俗・文化・宗教などを知る上で貴重な文献です。 この時代には、法相宗(ほっそうしゅう)の基(き)(632-682年)、華厳宗(けごんしゅう)の法蔵(ほうぞう)(643-712年)、 浄土教の善導(ぜんどう)(613-681年)、 北宗禅(ほくしゅうぜん)の神秀(じんしゅう)(606-706年)など、様々な人物が活躍し、多くの著作を著しました。


     さて、玄奘をはじめとした翻訳者たちの尽力によって、この時代までに主要な経典の大半は中国へと伝えられました。 しかし、インドでの経典の成立順序と異なったかたちで膨大な量の経典が伝えられたため、 中国の人は経典内に説かれた学説の整合に苦心することになります。 そこで生まれたのが「教相判釈(きょうそうはんじゃく)」と呼ばれる中国仏教独自の経典把握方法です。この方法は、諸宗・諸学派が根本・中心に据える経典を最上位に位置づけ、 その他の経典を相対的に関連させてゆくというもので、この教相判釈を用いて、それぞれの宗派・学派は、教義の宣揚を図りました。 この唐代は多種多様な仏教思想や文化が成熟し、中国仏教の最盛期ともいえる時代ですが、 安史(あんし)の乱(755-763年)やその後の仏教に対する弾圧など、仏教の庇護者であった体制側の混乱により、 以降は衰退の一途をたどることとなります。

    4. 新訳以降の時代(中国仏教の浸透)

     安史の乱によって国家の庇護を失ってからの中国仏教は、自給自足の必要も生じ、特に実践的な傾向を強めていきます。 また、インドからの経典の流入・翻訳がほとんど無くなったため、思想的な面での深化よりも、民衆への浸透がすすむことになりました。 そのため、宋代以降は、実践を重視した禅宗と民衆に分かりやすい浄土教を中心として発展していきます。元・明以降も、チベット仏教の流入と隆盛は一時的にはあるものの、その傾向は変わりません。


     唐代以降、中国において仏教思想の力は薄くなる一方です。しかし、観音信仰や念仏会などの実践を通じて、他の宗教とも混じり合いながら民衆の生活に深く結びつくことで、 外来宗教ではなく中国人の宗教として受容されることとなりました。そして、今なお中国において生き続けています。中国へ旅行された日には、 人々の生活と密着した中国の仏教の風景を目にすることでしょう。


    〈参考文献〉
    湯用彤『漢魏両晋南北朝佛教史』、商務印書館、1938年
    鎌田茂雄『中国仏教史』、岩波全書、1978年
    木村清孝『中国仏教思想史』、世界聖典刊行教会、1979年
    ケネス K・S チェン『仏教と中国社会』、金花舎、1981年
    藤善眞澄『隋唐時代の仏教と社会』、白帝社アジア史選書、2004年


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