第二章 廬遮那仏品るしゃなぶつぼん


出所:   コメント:0 読书量:

関連のホットワード検索:

  • <<前の稿:第一章 世間浄眼品せけ...
  • 第三章 如来名号品:次の稿>>

  • 概要: 華厳経第一 寂滅道場会第二章 廬遮那品 第二章、廬遮那品るしゃなぼんから、華厳経の本文がはじまる。題名のしめすように、教主ヴィルシ

    華厳経

    第一 寂滅道場会


    第二章 廬遮那品



     第二章、廬遮那るしゃなぼんから、華厳経の本文がはじまる。題名のしめすように、教主ヴィルシャナ仏の世界が説かれている。しかしヴィルシャナ仏自身は、経典のなかで自ら一言も説かれることはない。沈黙されたままである。ただ光明を放って、ヴィルシャナ仏の国土蓮華蔵世界れんげぞうせかいを現出させる。そこでこの章では、げん菩薩がその代りになって仏の世界を説いている。教典のなかではおおくの菩薩たちがあらわれているが、もっとも代表的なものは普賢菩薩ともんじゅ菩薩で、前者はヴィルシャナ仏の大行をあらわし、後者はその大智をあらわしている。

     そのとき、多くの菩薩や王たちはつぎのような疑問をおこした。
    「いったい、仏の境界とはなんであろう。仏の行、仏の力、仏の冥想、仏の智慧とはいったいなんであろう。また、仏の名号の海、仏のいのちの海、衆生の海、方便の海とはなんであろう。またすべての菩薩たちが実践しているところの行の海とはなんであろう。どうか仏さまよ、わたしたちの心をひらき、このような問題についてあきらかにしてください。」

     そこで多くの菩薩たちは、仏の神通力によって自然の音声を出し、つぎのように言った。
    「如来は、かぎりなく長いあいだの修行を成就して自然にさとりをひらきたもうた。そしてときとところとを問わず身をあらわして衆生をみちびいておられる。そのはたらきは、あたかも雲がまきおこって虚空に充満するがごとくである。衆生の疑いをことごとく除いて広大な信心をおこさしめ、世間の底しれないくるしみを抜いてさとりの安楽をあたえておられる。
     無数の菩薩たちは一心に合掌して、ひたすら如来をみたてまつっております。どうか菩薩の願いに応じて、すぐれた みのりを説きたまい、その疑惑を除いてください。仏の境界、仏の智や力はどういうものでしょうか、どうかわたしたちのためにおしめしください。おおくの仏の三昧と、清浄な修行と、深く妙なる御法と神通力とは、測り知ることができません。どうか御教の大雲をまきおこして衆生のうえに雨ふらしてください。」

     そのとき仏は多くの菩薩たちの願いをしられ、自分の口の一々の歯のあいだから無数の光明を放ちたもうた。その一々の光明からまた無数の光明が分かれて無量の仏国土を照らしだした。多くの菩薩たちは、この光明によってヴィルシャナ仏の蓮華蔵荘厳世界海れんげぞうしょうごんせかいかいを見たてまつることができた。そしてかれらは、仏の神通力によってこの光明のなかでつぎのように説いている。
    「ヴィルシャナ仏はかぎりなく長いあいだ功徳を修め、十方一切注1の仏を供養し、測り知れない衆生のかずかずを教みちびいて最高のさとりを完成された。大光明を放って十方の世界を照らし、一々の毛の孔から化身注2の雲を吹き出して衆生の器にしたがって教化するところの方便の道を得たもうた。
     おおくのすぐれた仏子よ、如来につかえまつれ。そしてただ一心に敬礼して如来を観たてまつれ。如来の説きたもうところの真理は、その一語のなかにも無辺の経巻の海を流出し、一切衆生に甘露注3の雨を降らしている。如来の大智の海は、底の底まで光明に照らされており、真理へのあらゆる道が充満している。

     ところでこの蓮華蔵荘厳世界の東に、また世界があって、そのなかに仏の国があり、その仏を中心に無数の菩薩がとりまいて結跏趺坐けっかふざ注4している。おなじように、南にも西にも北にも、また東南、西南、西北、東北、下、上にも、それぞれ世界があって、そのなかに仏の国があり、その仏を中心に無数の菩薩がとりまいて結跏趺坐している。これらの無数の菩薩たちは、自分の身のすべての毛の孔から光の雲を吹き出し、一々の光のなかからまた無数の菩薩たちを現出している。
     そのとき仏は、これらのすべての菩薩たちに、仏の無量無辺の世界、自由自在の真理への道をしらせるために、眉間のびゃくごう注5から光明を放ちたもうた。その光はあまねくすべての仏の国を照らして普賢菩薩をあらわし出し、それを大衆にしめし終って、ふたたび仏の足下相輪そっかそうりん注6のなかへおさまった。

     普賢菩薩は仏のみまえで蓮華蔵の師子座に坐し、仏の神通力によって三昧にはいった。それをヴィルシャナ仏身の三昧と名づける。すると十方世界はすべての仏があらわれて普賢菩薩をほめたたえる。
    「なんとまあすばらしいことであろう。あなたはこのさんまいに入ることができた。これはひとえにヴィルシャナ仏の本願力にもとづくためである。またあなたが諸仏の願いを実行したためである。あるいはまた、諸仏の真理を説きつたえるため、諸仏の智慧の海をひらくため、一切衆生の煩悩をのぞいて清浄な道を得さしめるため、一切諸仏の境界に自由自在に入らしめるためである。」

     そのとき十方の諸仏は普賢菩薩にさまざまな智慧をあたえ、それぞれ右の手をさしのべて菩薩の頭をなでたもうた。その智慧というはたとえば、無量無辺の真理の世界に入る智慧過去現在未来の諸仏のみもとにいたる智慧無量の衆生の世界に入る智慧一切衆生のことばの海をもって真理を述べつたえる智慧などである。
     この光景を見終った無数の菩薩たちは、いっせいに声をあげて、普賢菩薩にむかって「どうか清浄な御教をおつたえください」と願う。
     そのとき普賢菩薩は仏の神通力をうけ、衆生海、ごうかい注7、三世の諸仏海を観察しおわって、菩薩たちの大衆に告げていう。
    「仏子よ、一切諸仏の智慧の海はこころにおもいうかべることができない。わたしは仏の神通力をうけることによってそれを述べつたえよう。ただ一切の衆生をこの智慧の海に入らしめようと願うためにほかならない。」
     普賢菩薩がこの三昧から起ちあがると、一切の世界は六種に震動し、すべての衆生は平和でこころたのしく、一切如来の大衆の海に十種の宝が雨ふってきた。そのとき普賢菩薩は無数の菩薩たちに告げていう。

    「十の教え」
    ①【かぎりない因縁】 ②【依存的安定】 ③【形態】 ④【体】 ⑤【測り知れない荘厳】 ⑥【清浄なる方便】 ⑦【無数の諸仏の出現】 ⑧【種々の時間】 ⑨【変化】 ⑩【種々の無差別】

    ① 【かぎりない因縁】
    「もろもろの仏子よ注8、第一にすべての世界の海は、かぎりない因縁によって成り立っている。すべては因縁によってすでに成立しおわっており、現在成立しつつあり、また将来も成立するであろう。ここに言う因縁とはつぎのことを指している。すなわちそれは[1]如来の神通力である、また[2]ものごとはすべてありのままであるということである、また[3]衆生の行為や宿業である、また[4]すべての菩薩は究極のさとりを得る可能性を有しているということである、また[5]菩薩が仏の国土を浄めるのに自由自在であるということである。これが世界海の因縁である。
     ヴィルシャナ仏の境界はとうてい思い測ることはできないが、われわれが経験しているとおりにすべてが安定している。なぜならヴィルシャナ仏は無量無辺のすべての世界海を浄めたもうているからである。」

    ② 【依存的安定】
    「仏子よ、第二に一々の世界海は種々の拠り所にもとづいて安定している。たとえば、一々の世界海は[1]仏力の荘厳しょうごん注9によって安定しており、あるいは[2]虚空によって安定しており、あるいは[3]仏の光明によって安定しており、あるいは[4]幻のような業力ごうりきによって安定しており、あるいは[5]普賢菩薩の願力によって安定している。
     ヴィルシャナ仏は、諸仏や諸菩薩の神通力をあらわしたもうている。そこでは一々の小さなちりのなかに仏の国土が安定しており、一々の塵のなかから仏の雲が湧きおこって、あまねく一切をおおい包み、一切を護り念じている。一つの小さな塵のなかに仏の自在力が活動しており、その他一切の塵のなかにおいてもまた同様である。」

    ③ 【形態】
    「仏子よ、第三に一切の世界海には種々の形態がある。あるいは円、あるいは四角、あるいは三角、八角、あるいは水が曲がりくねって流れるように、あるいは花の形のようにさまざまである。
     諸仏の国土はしんごうによって起り、測り知れないほどのさまざまな形があって、仏力によって荘厳されている。その国のすべてのものはそれぞれ自由自在であって、無量のすがたをあらわしている。浄いものもあれば汚れたものもあり、くるしみもあればたのしみもあり、ものごとがつねにてんするにつれてそのすがたもうつりかわっていく。一切の業海はただ不可思議というほかはない。
     一本の毛の孔のなかに無量の仏国土が荘厳されており、悠々として安定している。すべての世界には種々の形があり、どの形の世界のなかでも尊い仏法が説かれている。それこそがヴィルシャナ仏の説法である。これはヴィルシャナ仏の本願力、神通力のいたすところである。それはあたかも幻のようであり、また虚空のようでもあり、もろもろの心業の力によって荘厳されている。」

    ④ 【体】
    「仏子よ、第四に一切の世界海には種々のたいがある。たとえばおおくの宝によって荘厳されている体、あるいは一宝の体、あるいは金剛のようにけんな大地の体などである。
     ときには世界海はおおくの宝から成り立っており、堅固であってけっしてこわれることがない。あるいは世界海は光明によって安定しており、光明の雲によってつつまれている。あるいは世界海はいなずまのようであり、とうていことばでいいあらわすことはできない。これはすべて仏の願力にもとづいて起こっているのである。
     あるいは仏身の光明は宝の国に安住しており、悟りの雲はすべてをおおいつつみ、一切の諸仏は自由自在である。あるいは普賢菩薩は仏の国土を現出し、一切の宝をもってかざっている。これはすべて仏の願力の荘厳するところである。」

    ⑤ 【測り知れない荘厳】
    「仏子よ、第五に、すべての世界海には測りしれない荘厳がある。
     たとえば、すべての衆生の宿業が荘厳されていること、また、過去現在未来の諸仏、および普賢菩薩の願力が荘厳されていること、などである。
     十方の世界海は、いろいろに荘厳されていて、広大無辺である。
     衆生の宿業の海は、ひろくてほとりがなく、そのときどきにうつりかわっていくが、その底の底まで諸仏の力によって荘厳されている。」

    ⑥ 【清浄なる方便】
    「仏子よ、第六に、すべての世界海には、種々の清浄な方便がある。
     たとえば、菩薩は、多くの善知識ぜんちしき注10にしたしんで徳を修め、智慧をみがき、また、いろいろなすぐれた境地を観察して、それに到達し、あるいは、衆生の種々の悩みを抜こうと念願する。
     すべての仏国の荘厳は、測り知れない願海から生じ、すべての仏国の清浄な色は、菩薩の深い業力からあらわれている。
     菩薩は、久遠のむかしから善知識にしたしんで修行し、その慈悲心は、あまねく流れて衆生をうるおしている。このゆえに、菩薩は世界海を浄めるのである。
     菩薩は、ふかい清浄心を起し、仏を信じてうたがわず、どのような困難にもたえしのぶ。このゆえに、菩薩は世界海を浄めるのである。
     菩薩は、衆生のために清浄の行をつくし、衆生は、それによって無量の福徳を得る。このゆえに、菩薩は世界海を浄めるのである。
     菩薩は、諸仏の功徳の海に入り、すべての衆生をして苦しみの源をきわめさせ、こうして広大な仏国を完成する。このゆえに、菩薩は世界海を浄めるのである。」 

    ⑦ 【無数の諸仏の出現】
    「仏子よ、第七に、一々の世界海には、無数の諸仏がおでましになっている。そのおすがたは、あるいは小さなからだ、あるいは大きなからだ。そのおいのちは、あるいは短寿、あるいは長寿。ただ一つの仏国土を浄めたもうたかとおもえば、無数の仏国土を浄めたまい、ただひとつの御法をしめしたもうかとみれば、不可思議な無数の御法をお説きになり、また、衆生の一部をみちびきたもうこともあれば、無辺の衆生を教えたもうこともある。
     諸仏は、測りしれない方便の力によって、すべての仏国の海を起し、衆生ののぞむところにしたがって、世におでましになっている。
     仏の法身は不可思議である。色もなく、形もなく、なにものにもくらべようがないが、衆生のために種々の形をあらわし、衆生のこころばえに応じて、姿をおみせになられる。
     あるいは、一本の毛の孔から、仏の化身が湧きでて、十方世界に充満し、測りしれない方便の力によって、衆生をみちびかれる。
     あるいは、仏のおんじょうは、十方世界にひびきわたり、衆生のおもうところにしたがって説法をつづけ、瞬時もたえるときがない。」

    ⑧ 【種々の時間】
    「仏子よ、第八に、一々の世界海には、それぞれその世界の時間がある。短いのもあれば、長いのもあり、また、おもい測ることのできないほどの長時間のものもある。
     諸仏は、無量の方便と願力によって、これらすべての時間のなかに自由自在に入りたもう。」

    ⑨ 【変化】
    「仏子よ、第九に、すべての世界海には、種々の変化が起る
     たとえば、[1]世界海は、自然のうごきにしたがって世にあらわれ、やがて消滅する。また[2]世界海は、煩悩の衆生が住んでいるために、煩悩によってうつりかわる。また[3]世界海は、智慧を有する菩薩が住んでいるために、きよらかさとけがれとによってうつりかわる。また、[4]世界海は、無数の衆生が悟りへの心を起しているために、ただきよらかさによってだけうごいていく。また[5]世界海は、すべての菩薩が雲のようにあつまっているために、測りしれない大荘厳によってうごいていく。また[6]世界海は、如来の神通力がはたらいているために、あまねく清浄のままでうつりかわる
     このように、十方一切の国土は、ただ業力にしたがってうごいているのである。」

    ⑩ 【種々の無差別むしゃべつ
    「仏子よ、第十に、すべての世界海にはおおくの無差別がある。
     たとえば、一々の世界海のなかに、またおおくの世界があるが、すこしの差別もない。また、一々の世界海に諸仏がおでましになられるが、その威力には差別がない。また、一々の世界海のなかに諸仏の光明はあまねくゆきわたって差別がない。また、一々の世界海のなかに、諸仏の音声がひびきわたって差別がない。また、一々の世界海のなかの一々の小さな塵は、さん注11のすべての諸仏の広大な境界をあらわしだして差別がない。
     一々の塵のなかに、おもい測ることのできないみほとけがいまし、衆生の心にしたがってあらわれ、ついにすべての国土海に充満しておられる。このような方便には差別がない。」

     普賢菩薩は、さらにつづけて説く。
    「仏子よ、つぎのようにしるがよい。この蓮華蔵世界海は、ヴィルシャナ仏が久遠のむかし、菩薩の修行をあそばしたとき、一々のみほとけのもとにおいて、菩薩の大願を起しながら荘厳したもうたところの世界である。
     この世界は、過去の無数の諸仏が、修行のために自分の身を捨てること、いくたびかしれず、ついにすべての不浄をはなれ、ことごとく清浄となったところの世界である。
     大悲の雲は、一切衆生の上にたれこめ、ヴィルシャナ仏の広大な念願は、すべての国土にゆきわたっている。衆生の苦はのぞかれ、究極のさとりは確定しており、すべての世界海は、あまねく光明に照らされている。この蓮華蔵世界海のなかでは、一々の小さな塵のうちに、ありとあらゆる世界の光景をみることができる
     諸仏は、衆生の心のおもうところをしりたもうて、余りなく、無数の方便の教えによって衆生をみちびかれる。人びとの心は、ただしいすがたに立ちかえり、いつもしずけさのうちに安住している。
     このようにして、ヴィルシャナ仏の偉大な活動は、すべての世界を浄めたもうている。その世界は、かずかぎりがなく、また、その世界は広大でほとりがない。ヴィルシャナ仏は、このような無数無辺の世界海に、自由自在に活動しておられる。
     ヴィルシャナ仏は、十方世界にあまねくゆきわたりながら、自分から無数の化身仏をあらわし出しておられるが、その化身仏は来るのでもなく、また去るのでもない。化身仏は、ただヴィルシャナ仏の本願力のゆえに、ことごとく見たてまつることができる。
     このような蓮華蔵世界海のなかで、無数の仏子たちは、それぞれ自分の行をしゅしており、その修行は本来の仏道にかなっている。仏子たちには、やがてかならず究極のさとりに達するという保証があたえられている。」

     普賢菩薩は、最後に、普荘厳童子ふしょうごんどうじ(普荘厳という少年注12)の菩提心注13について語る。
    「久遠のむかし、普荘厳という少年がいた。少年は、仏のかぎりない徳を見たてまつり、十種の三昧注14を得た。そのとき、少年は、仏をほめたたえて言う。
    『仏は道場に坐したまい、清浄な大光明がはなたれている。それはあたかも千の太陽が一時に出て、虚空を照らすようなものである。
     千万億劫注15にも遭い難い仏が、いま世にあらわれたもうた。そして、すべての人びとが、仏を見たてまつっている。
     光明は、仏身の毛の孔から放たれており、雲の湧きでるように尽きることがなく、十方世界に充ち満ちている。どこにいても、あたかも、すぐ目のまえに光明をみるようである。
     衆生は、仏の光に触れると、くるしみをはなれ、こころが寂まり、平和でたのしく、心はよろこびでふくれる。』
     そのとき仏は、一切衆生を教みちびくために、大衆海のなかで経を説きたもうた。少年は、この経をききおわって、種々の三昧を得た。それは宿世の因縁によるものである。少年は、よろこびのあまり、つぎのように述べる。
    『わたしは、最高の御法をきいて智慧のまなこがひらけ、すべての仏の行ぜられた功徳の海を見たてまつることができた。
     わたしは、しょうの海のなかで、自分を捨てること、かずしれず、ただ菩薩の行をしゅし、仏国土を荘厳した。耳をすて、鼻をすて、目も頭も、手足もすて、宮殿も王身も、ことごとくかなぐりすてて、国を浄めることだけを修した。
     太陽の光に照らされて、太陽そのものをみることができるように、わたしは、仏の智慧の光によって、仏の行じたもうた道をみることができた。
     仏国土を見たてまつるに、そこには最高のさとりを完成したよろこびが満ちあふれている。わたしは、仏の威神いじんりき注16をうけて、さらに悟りへの道をすすもう。』
     少年がこのように述べおわったとき、かずしれない衆生が、ことごとく無上の菩提心をおこした。
    『なんとすばらしいことであろう。少年よ、あなたは勇敢にさとりをもとめた。あなたは、衆生のよりどころとなるであろう。またやがてあなたは、仏の尽きることのない活動の世界に、はいることができるであろう。
     怠惰なものは、ふかい方便の海をわかることができない努力精進の力が完成することによって、仏の世界は浄められて行くのである。』」


    Array

    関連のホットワード検索:

    前の稿:第一章 世間浄眼品せけんじょうげんぼん
    次の稿>:第三章 如来名号品

    收藏