第三章 如来名号品


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  • 概要: 華厳経第二 善光法堂会第三章 如来名号品 第一会(えがおわって、第二会にうつる。この普光法堂ふこうほうどうは、第一会の寂滅道場から

    華厳経

    第二 善光法堂会

    第三章 如来名号品



     第一(がおわって、第二会にうつる。この普光法堂ふこうほうどうは、第一会の寂滅道場から、ほど遠からぬところにある。第二会の説法者は文殊菩薩が中心になっている。ここには、第三章から第八章までの六章がふくまれている。第一会が、主として、仏の、広大無辺の世界を説いているのにたいして、第二会は、主として、仏そのもののはたらきをしめしている。
     最初の如来名号品には、如来の無数の名前が説かれている。その一々の名前が、そのまま如来そのものをあらわしており、また、われわれの、悟りへの道しるべになっているようである。


     仏は、マカダ国の寂滅道場で悟りをひらかれ、そこで説法がおわったのち、いまは、普光法堂における蓮華蔵の師子座の上に坐っておられる。仏のまわりには、おおくの菩薩たちがはべっており、かれらはみな、真理の世界に入り、衆生の本性をわきまえており、すぐれた菩薩たちである。
     そのとき、つぎのような願いが、菩薩たちの心のなかに浮んだ。
    「どうか仏さまよ、わたしたちをあわれんでお教えください。わたしたちの煩悩をたち、けがれをはなれ、疑いの病をやぶり、愛欲の心がなくなる道をおしめしください。また、仏の最高の境地、仏のいのち、仏のはたらき、仏の力、光、智慧、禅定を、ここにあらわしてください。」
     そのとき、仏は、菩薩たちのおもいをしりたもうて、神通力をあらわし出された。神通力がおわると、東方の国から、文殊菩薩は、無数の菩薩たちと連れだって、仏のみもとに詣で、仏に礼拝供養したのち、神通によって師子の座をこしらえ、そこに結跏趺坐した。
     南方の国から、かくしゅ菩薩が、無数の菩薩たちといっしょに、仏のみもとにいたり、おなじく礼拝供養したのち、結跏趺坐した。
     おなじように、西方、北方、東北方、東南方、西南方、西北方、下方、上方の、国ぐにから、それぞれの菩薩たちといっしょに仏のみもとにいたり、礼拝供養して、結跏趺坐した。
     そのとき、文殊菩薩は、仏の神通力をうけ、菩薩たちのあつまりをみて、説法をはじめる。
    「なんとまあ、こころよいことであろう。このような菩薩のあつまりを、いままでみたことがない。
     仏子よ、つぎのようにしるがよい。仏の国は、不可思議である。仏のいのち、仏のみのり、仏の説法、仏の無上のさとり、仏の世にあらわれたもうこと、これらは、ことごとく不可思議である。なぜかというに、十方の諸仏は、衆生のねがいが、たがいに異なっていることをしろしめし、それぞれのねがいに応ずるように方を説きたもうのであるが、その説法のはたらきは、あたかも、虚空世界を自由自在にかけめぐるように、すぐれているからである。
     仏子よ、この国では、如来はおおくのをもっておられる。すなわち、満月、獅子しし、釈迦牟尼、神仙、大沙門、最勝、など、その数、一万である。
     仏子よ、東方の国にも、多くの御名がある。すなわち、金剛、尊勝、大智、不壊、じょう、平等、歓喜、無比、黙然、など、その数、一万である。
     仏子よ、南方の国にも、多くの御名がある。すなわち調じょう注1、大音、無量、勝慧、など、その数、一万である。
     仏子よ、西方の国にも、おおくの御名がある。すなわち、愛現、無上王、恐怖くふ実慧、知足、きょう、能忍、など、その数、一万である。
     仏子よ、北方の国にも、おおくの御名がある。すなわち、苦行、婆伽婆ばがば注2福田ふくでん注3、一切智、善意、清浄、など、その数、一万である。
     仏子よ、東北方の国にも、おおくの御名がある。すなわち、法王、寂静、離欲、等心、など、その数、一万である。
     仏子よ、東南方の国にも、おおくの御名がある。すなわち、蓮華、慧火、智人、解脱、ねん安住、妙行成就、精進しょうじんりき、など、その数、一万である。
     仏子よ、西南方の国にも、おおくの御名がある。すなわち、不動、慧王、満慧、無動慧、常悲、一切施、など、その数、一万である。
     仏子よ、西北方の国にも、おおくの御名がある。すなわち、、光明成就、悦楽、本性清浄、など、その数、一万である。
     仏子よ、下方の国にも、おおくの御名がある。すなわち、長養善根じょうようぜんごん、利智、ぼんのん、平等施、など、その数、一万である。
     仏子よ、上方の国にも、おおくの御名がある。無量清浄、妙荘厳、じょうまん注4、火花、一乗、など、その数、一万である。
     このように、娑婆世界しゃばせかい注5には、百億の国ぐにがあり、したがって、百億万の如来の御名がある。
     仏子よ、この娑婆世界の東に、みつくんという世界があり、そこでも、平等、安慰、一切捨、超越だいちょうおつ、無比智、など、百億万の、如来の御名がある。
     仏子よ、おなじように、娑婆世界の、南、西、北、など十方に、それぞれ世界があり、それぞれに、百億万の如来の御名がある。
     このように、数えることも思議することもできない無数無辺の、如来の御名があり、十方の衆生は、みなそれぞれ、如来の御名を称えている。久遠のむかし、仏がまだ菩薩であられたとき、種々の修行を経て、ついに、仏道を完成された。このような無数無辺の御名は、ただひとえに、仏の御法を、衆生にしらせるためのものである。」


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