第十一章 菩薩十住品
関連のホットワード検索:
概要: 第十一章 菩薩十住品 本章では、第三トウ利天会の主題である菩薩の十住が説かれる。説者は法慧菩薩である。 そのとき法慧菩薩は、仏の神
第十一章 菩薩十住品
- 本章では、第三トウ利天会の主題である菩薩の十住が説かれる。説者は法慧菩薩である。
そのとき法慧菩薩は、仏の神通力をうけて、菩薩の無量方便三昧に入った。三昧に入り終わって、十方の無数の仏土のほかに、なお無数の諸仏を見たてまつる。これらの諸仏は、ことごとく法慧と名づけたてまつる。
ときにその諸仏、法慧菩薩に告げてのたまわく、
「よいかな、よいかな、善男子よ、なんじはよく、この菩薩の無量方便三昧に入った。
善男子よ、なんじがこの三昧に入ったのは、十方無数の諸仏がなんじに神通力をさずけたためである。また、ヴィルシャナ仏の本願力、威神力、およびなんじの
善男子よ、まさに仏の神通力をうけて、微妙の法を説くべきである。」
そのとき諸仏は、おのおの右の手をさしのべて、法慧菩薩のあたまをなでたもうた。法慧菩薩は、三昧よりたって、もろもろの菩薩衆に告げていう。
「もろもろの仏子よ、菩薩の本性は、広大にして甚だ深く、あたかも虚空のごとくである。一切の菩薩は、過去、未来、現在の、諸仏の本性から生じている。
もろもろの仏子よ、菩薩の十住の行は、過去、未来、現在の、諸仏の説きたもうところである。
十とはなにか。一は
① 初発心住
もろもろの仏子よ、第一に菩薩の初発心とはなにか。
この菩薩は、すぐれた相好をそなえている仏を見たてまつり、あるいは仏の神通を見、説法をきき、また一切衆生が無量の苦をうけるのを見て、菩提注1の心をおこし、一切智を求めて、決して退くことがない。
この菩薩は、初発心によって十の力を得ている。たとえば、[1]道理と道理でないものを見分ける智、[2]業報としての生の垢浄を知る智、[3]過去の生涯を知る智、[4]遠隔のものを見る智、[5]すべての煩悩やその余習のなくなっていることを知る智などである。
もろもろの仏子よ、この菩薩は、十の項目を学ぶべきである。すなわち、(1)諸仏をうやまい、供養し、(2)もろもろの菩薩をほめたたえ、(3)衆生の心をまもり、(4)賢明なものに親しみ、(5)不退の仏法をほめ、(6)仏の功徳を修し、(7)諸仏のみまえに生まれることをほめたたえ、(8)方便によって三昧を学び、(9)生死の輪廻を離れることをのぞみ、(10)苦しめる衆生のために自ら帰依所となることを学ぶべきである。なぜならこれによって、菩提への心をますます強固にし、無上の仏道を完成しようと欲するからである。もし聞くところの仏法あれば、みずからこれを聞いて理解し、決して他人に頼って悟ることをしない。
② 治地住
もろもろの仏子よ、第二に、菩薩の治地住とはなにか。この菩薩は、一切の衆生に対して十種の心をおこす。すなわち、[1]大慈心、[2]大悲心、[3]安楽心、[4]安住心、[5]
もろもろの仏子よ、この菩薩は、十の項目を学ぶべきである。すなわち、(1)多く聞くことを求め、(2)欲を離れる三昧を修し、(3)善知識に近づいてその教えにしたがい、(4)語るときは適切な時をえらび、(5)心におそれをいだかず、(6)仏法の深い意味をさとり、(7)正法に了達し、(8)仏法のとおりに行い、(9)心の愚迷を離れ、(10)不動心に安住すべきである。なぜならこれによって、一切衆生に対して大慈悲を増長しようと思うからである。もし聞くところの仏法あれば、みずからこれを聞いて理解し、決して他人に頼って悟ることをしない。
③ 修行住
もろもろの仏子よ、第三に、菩薩の修行住とはなにか。
この菩薩は、十種によってすべての存在を観察する。すなわち、すべての存在は、[1]無常であり、[2]苦であり、[3]空であり、[4]無我であり、[5]不自在である。すべての存在は[6]たのしむべきものではなく、[7]集散もなく、[8]永久不変のものでもない、すべてのことがらは[9]虚妄であり、そこには、[10]努力も和合も堅固もない、とこのように観察する。
もろもろの仏子よ、この菩薩は、十の項目を学ぶべきである。すなわち、(1)すべての衆生の世界、(2)真理の世界、(3)地、水、火、風の世界、(4)欲望の世界、(5)かたちのある世界、(6)かたちのない世界などを知ることを学ぶべきである。なぜなら菩薩は、すべてのことがらにおいてきよく明るい智慧を増進しようとのぞむからである。
もし聞くところの仏法あれば、みずからこれを聞いて理解し、決して他人に頼って悟ることをしない。
④ 生貴住
もろもろの仏子よ、第四に、菩薩の生貴住とはなにか。
この菩薩は、聖教のなかから生れ、十種の仏法を修行する。すなわち、[1]仏を信じ、[2]真理を実現し、[3]禅定に入り、また、[4]衆生、[5]仏国、[6]世界、[7]諸業、[8]果報、[9]生死、[10]涅槃などを認知する。
もろもろの仏子よ、この菩薩は、十の項目を学ぶべきである。すなわち、(1)過去、(2)未来、(3)現在の仏法を認知し、(4)過去、(5)未来、(6)現在の仏法を修行し、(7)過去、(8)未来、(9)現在の仏法を身にそなえ、(10)一切諸仏の平等なることを観察すべきである。なぜなら菩薩は、過去、未来、現在の三世に明達して、心の平等を得ようとのぞむからである。
もし聞くところの仏法あれば、みずからこれを聞いて理解し、決して他人に頼って悟ることをしない。
⑤ 方便具足住
もろもろの仏子よ、第五に、菩薩の具足方便住とはなにか。
この菩薩は、十種の仏法を聞いて修行すべきである。すなわち、この菩薩の修するところの功徳は、[1]ことごとく一切衆生を救い護り、[2]一切衆生に利益をあたえ、[3]一切衆生を安楽にし、[4]一切衆生をあわれみ、[5]一切衆生の人格を完成し、[6]一切衆生をしてすべての災難をはなれしめ、[7]一切衆生を生死の苦悩から脱出せしめ、[8]一切衆生を歓喜せしめ、[9]一切衆生をして煩悩を克服せしめ、[10]ことごとく涅槃を得しめるようにすべきである。
もろもろの仏子よ、この菩薩は、十の項目を学ぶべきである。すなわち、衆生は、(1)無辺であり、(2)無量であり、(3)無数であり、(4)不可思議であり、(5)種々の形態をなしており、(6)空であり、(7)自在でなく、(8)真実でなく、(9)より所がなく、(10)自性がないことを学ぶべきである。なぜなら、菩薩は、自分の心が執著しないようにのぞむからである。
もし聞くところの仏法あれば、みずからこれを聞いて理解し、決して他人に頼って悟ることをしない。
⑥ 正心住
もろもろの仏子よ、第六に、菩薩の正心住とはなにか。
この菩薩は、十種のことがらを聞いて
もろもろの仏子よ、この菩薩は、十の項目を学ぶべきである。すなわち、ありとあらゆることがらは、(1)すがたのないものであり、(2)本性のないものであり、(3)修行することもできず、(4)実在的でもなく、(5)真実でもなく、(6)自性もなく、(7)あたかも虚空のごとく、(8)幻のごとく、(9)夢のごとく、(10)響きのごときものである、と知るべきである。なぜなら菩薩は、不退転の
もし聞くところの仏法あれば、みずからこれを聞いて理解し、決して他人に頼って悟ることをしない。
⑦ 不退住
もろもろの仏子よ、第七に、菩薩の不退転住とはなにか。
この菩薩は、十種のことがらを聞いても、そのこころは堅固であって、動転することがない。すなわち、[1]仏は存在する、あるいは存在しないと聞いても、仏法のなかにおいて退くことがない。[2]真理はあるとも、ないとも聞いても、仏法のなかにおいて退くことがない。[3]菩薩はあるとも、ないとも聞いても、仏法のなかにおいて退くことがない。[4]菩薩の行はあるとも、ないとも聞いても、仏法のなかにおいて退くことがない。[5]菩薩の行は、迷いを越えるとも、越えないとも聞いても、仏法のなかにおいて退くことがない。[6]過去仏、[7]未来仏、[8]現在仏が、それぞれあるとも、ないとも聞いても、仏法のなかにおいて退くことがない。[9]仏の智慧は、尽きるとも、尽きないとも聞いても、仏法のなかにおいて退くことがない。[10]過去、未来、現在の存在[三世相]は、同一のすがた[一相]であり、あるいは同一のすがたでない[非一相]、と聞いても、仏法のなかにおいて退くことがない。
もろもろの仏子よ、この菩薩は、十の項目を学ぶべきである。すなわち、(1)一は多であり、(2)多は一であり、(3)教えによって意味を知り、(4)意味によって教えを知り、(5)非存在は存在であり、(6)存在は非存在であり、(7)すがたを持たないものがすがたであり、(8)すがたがすがたを持たないものであり、(9)本性でないものが本性であり、(10)本性が本性でないものである、と知るべきである。なぜなら菩薩は、あらゆることがらにおいて方便を得ようとのぞむからである。
もし聞くところの仏法あれば、みずからこれを聞いて理解し、決して他人に頼って悟ることをしない。
⑧ 童心住
もろもろの仏子よ、第八に、菩薩の童心住とはなにか。
この菩薩は、十種のことがらにおいて、心を安定することができる。すなわち、[1]こころ、[2]ことば、[3]ふるまいにおいて清浄となり、[4]思うとおりに生を受け、[5]衆生のこころ、[6]ねがい、[7]本性、[8]業を知り、[9]生成消滅を知り、[10]神通自在でさまたげられることがない。
もろもろの仏子よ、この菩薩は、十の項目を学ぶべきである。すなわち、[1]すべての仏国を知り、[2]観察し、[3]震動し、[4]持ちつづけ、また、[5]すべての仏国やその他すべての世界にいたり、[6]量りしれない真理を問答し、[7]神通によってさまざまな身体になり変わり、[8]無量の音声を理解し、[9]一念のなかに無数の諸仏をうやまい、[10]供養することを学ぶべきである。なぜなら菩薩は、種々の方便によって、すべてのことがらを完成しようとのぞむからである。
もし聞くところの仏法あれば、みずからこれを聞いて理解し、決して他人に頼って悟ることをしない。
⑨ 法王子住
もろもろの仏子よ、第九に、菩薩の法王子住とはなにか。
この菩薩は、十種のことがらを理解している。すなわち、[1]衆生の国々、[2]もろもろの煩悩や、[3]そのなごり、[4]量りしれない真理と、[5]その方便、[6]もろもろの礼儀作法、[7]すべての世界の事情、[8]過去未来現在の時の流れ、[9]世間の道理と、[10]究極の真理などである。
もろもろの仏子よ、この菩薩は、十の項目を学ぶべきである。すなわち、(1)法王注3の住するところ、(2)法王のたちいふるまいの作法、(3)法王のところに安んずること、(4)たくみに法王のところに入ること、(5)法王のところを分別すること、(6)法王の真理をもちこたえること、(7)法王の真理をほめたたえること、(8)法王が完全に真理を実現すること、(9)法王のおそれることのない真理、(10)法王の執著をはなれた真理、などを学ぶべきである。なぜなら菩薩は、すべてのことがらにおいて、さまたげられない智慧を得ようとのぞむからである。
もし聞くところの仏法あれば、みずからこれを聞いて理解し、決して他人に頼って悟ることをしない。
⑩ 灌頂住
もろもろの仏子よ、第十に、菩薩の灌頂住とはなにか。
この菩薩は、十種の智慧を完成する。すなわち、[1]量りしれない世界を震動し、[2]照らし、[3]もちこたえ、[4]きよめ、そして[5]その世界に遊び、また、[6]量り知れない衆生の、こころの動き、[7]身のおこない、[8]感官のはたらきを知り、[9]種々の方便によって衆生の煩悩を克服し、[10]解脱を得しめる。
もろもろの仏子よ、この菩薩の実体は知ることができない。すなわち、かれが冥想に入り、神通自在であること、かれの過去未来現在の智慧、諸仏の国をきよめる智慧、かれの心の境界など、ことごとく知ることができない。すべての衆生や、ないし第九の法王子住の菩薩さえも、これを知ることができない。
もろもろの仏子よ、この菩薩は、十種の智慧を学ぶべきである。すなわち、(1)過去未来現在の智慧[三世智]、(2)一切の仏法の智慧[一切佛法智]、(3)真理の世界はさまたげられないという智慧[法界無障礙智]、(4)真理の世界は無量無辺であるという智慧[法界無量無邊智]、(5)すべての世界を照らし[普照一切世界智]、(6)もちこたえ[能持一切世界智]、(7)充実せしめる智慧[充滿一切世界智]、(8)すべての衆生を分別する智慧[分別一切衆生智]、[(9)漢訳ではここに「一切種智=ありとあらゆる種類の智慧」があるが、玉城訳ではこれが抜けている。書き忘れか]、(10)無量無辺の仏の智慧[智佛無量無邊智]、などを学ぶべきである。なぜなら菩薩は、ありとあらゆる種類の智慧を身につけようとのぞむからである。
もし聞くところの仏法あれば、みずからこれを聞いて理解し、決して他人に頼って悟ることをしない。」
そのとき、仏の神通力によって、十方無量の仏国は、六種十八相に震動し、天のはな、ころも、かずらが、雨のようにふり、天の音楽は、おのずから鳴りひびいた。
関連のホットワード検索:
前の稿:第十章 菩薩雲集妙勝殿上説偈品
次の稿>:第十二章 梵行品