大無量寿経 上巻
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概要: ※曹魏の天竺三蔵康僧鎧訳す【1】^わたしが聞かせていただいたところは、 次のようである。 ^あるとき、 釈尊は王舎おうしゃ城じょうの
【1】 ^わたしが聞かせていただいたところは、 次のようである。
^あるとき、 釈尊は
^みな*
^また、 *
【2】 ^これらの菩薩たちは、 みな*
^まず、 *
^やがて、 老・病・死のありさまを見て世の無常をさとり、 ^国や財宝や王位を捨てて、 さとりへの道を学ぶために山に入る。 そこで乗ってきた白馬と身につけていた宝冠や胸飾りを御者に託して王宮に帰らせ、 美しい服を脱ぎ捨てて修行者の身なりとなり、 髪をそって樹の下に姿勢を正して座り、 六年の間、 他の修行者と同じように苦行に励む。 ^*
^そのとき梵天や帝釈天が現れて、 すべてのもののために説法するように願うので、 仏になったこの菩薩はあちらこちらに足を運び、 説法を始める。 それはあたかも、 太鼓をたたき、 法螺貝を吹き、 剣を執り、 旗を立てて勇ましく進むように、 また雷鳴がとどろき、 稲妻が走り、 雨が降りそそいで草木を潤すように、 教えを説き、 常に尊い声で世の人々の迷いの夢を覚すのである。
^その光明は数限りない仏の国々をくまなく照らし、 すべての世界はさまざまに震動する。 この光明は魔界にまで及び、 魔王の宮殿をも揺り動かすのである。 そこで悪魔どもはみな恐れをなして、 降伏してしたがわないものはない。 このようにして世間の誤った教えをひき裂き、 悪い考えを除き去り、 さまざまな煩悩を打ち払い、 貪りの堀を取り壊すのである。 正しい法の城を固く守って広く人々に法の門を開き、 煩悩の汚れを洗いきよめ、 ひろく仏の教えを説き述べて、 人々を正しいさとりの道へ導き入れるのである。 ^また、 人里に入って食を乞い、 さまざまな供養を受け、 施しの相手となって人々に功徳を積ませ、 教えを説くにあたっては笑みをたたえ、 人々の悩みに応じてさまざまな教えの薬を与え、 その苦しみを除く。 さらにさとりを求める心を起させてはかり知れない功徳を与え、 菩薩には仏となることを約束してさとりを得させるのである。
^菩薩は最後に世を去る姿を示すのであるが、 その後も教えは人々を限りなく救うのである。 さまざまな煩悩を除き、 多くの*
^菩薩はまた、 多くの国々をめぐってまことの教えをひろめる。 それは清らかで少しも汚れがない。 ^幻を見せる術にたけたものが、 男の姿や女の姿、 その他さまざまな姿を思いのままに現すように、 ^この菩薩たちも、 すべての法に通じて尊い境地に達しているから、 その教化は自由自在で、 数限りない仏の国土に現れて、 少しもおこたることなく、 人々を哀れみいたわるのである。 ^このようにすべての手だてを菩薩は余すことなくそなえている。
^また、 仏の説かれた教えのかなめをきわめ尽しており、 その名はすべての世界に至りとどいて人々を巧みに導く。 数限りない仏がたは、 みなともにこの菩薩をお守りになる。 菩薩は仏のそなえておいでになる功徳をすべてそなえ、 仏の清らかな行いをすべて行う。 仏と同じように、 その導きはよく行きとどいて、 他の菩薩たちのためにすぐれた師となり、 奥深い*
^教えを説くにあたり、 何ものも恐れない智慧をそなえ、 すべてのものは幻のようで、 決して執着するべきでないという道理をさとり、 さとりの道をさまたげる悪魔の網をひき裂き、 さまざまな煩悩を断ち切っている。 そして*
^また、 菩薩自身は深い禅定に入り、 今おいでになる数限りない仏がたをまたたく間にすべて見たてまつることができる。 そして苦難に深く沈んでいるものも、 仏道修行のできるものもできないものも、 それらをみな救って、 まことの道理を説き示す。 しかも如来の自由自在な弁舌の智慧を得ており、 またあらゆる言葉に通じていて、 どのようなものをも教え導くのである。 すでに世間の迷いを超え出て、 その心は常にさとりの世界にあって、 すべてのことがらについて自由自在である。 さまざまな人々のためにすすんで友となり、 これらの人々の苦しみを背負い引き受け、 導いていく。 ^さらに、 如来の奥深い教えをすべて身にそなえ、 人々の*
^菩薩たちは、 このようなすべての善根によって人々をさとりの世界に至らせ、 仏がたのはかり知れない功徳をみな人々に与えるのである。 その智慧の清く明らかなことは、 とうてい思いはかることができない。
^このようなすぐれた菩薩たちが数限りなく集まり、 この経を説かれた集いに臨んだわけである。
【3】 ^そのとき釈尊は喜びに満ちあふれ、 お姿も清らかで、 輝かしいお顔がひときわ気高く見受けられた。 ^そこで阿難は釈尊のおこころを受けて座から立ち、 衣の右肩を脱いで地にひざまずき、 うやうやしく合掌して釈尊にお尋ねした。
^「世尊、 今日は喜びに満ちあふれ、 お姿も清らかで、 そして輝かしいお顔がひときわ気高く見受けられます。 まるでくもりのない鏡に映る姿が透きとおっているかのようでございます。 そして、 その神々しいお姿がこの上なく超えすぐれて輝いておいでになります。 わたしは今日までこのような尊いお姿を見たてまつったことがございません。 ^そうです、 世尊、 わたしが思いますには、 ^世尊は、 今日、 世の中でもっとも尊いものとして、 特にすぐれた禅定に入っておいでになります。 また、 煩悩を断ち悪魔を打ち負かす雄々しいものとして、 仏のさとりの世界そのものに入っておいでになります。 また、 迷いの世界を照らす智慧の眼として、 人々を導く徳をそなえておいでになります。 また、 世の中でもっとも秀でたものとして、 何よりもすぐれた智慧の境地に入っておいでになります。 そしてまた、 すべての世界でもっとも尊いものとして、 如来の徳を行じておいでになります。 ^過去・現在・未来の仏がたは、 互いに念じあわれるということでありますが、 今、 世尊もまた、 仏がたを念じておいでになるに違いありません。 ^そうでなければ、 なぜ世尊のお姿がこのように神々しく輝いておいでになるのでしょうか」
^そこで釈尊は阿難に対して仰せになった。
「阿難よ、 天人がそなたにそのような質問をさせたのか、 それともあなた自身のすぐれた考えから尋ねたのか」
^阿難が答えていう。
「天人が来てわたしにそうさせたのではなく、 まったく自分の考えからこのことをお尋ねしたのでございます」
^そこで釈尊は仰せになった。
「よろしい、 阿難よ、 そなたの問いはたいへん結構である。 ^そなたは深い智慧と巧みな弁舌の力で、 人々を哀れむ心からこのすぐれた質問をしたのである。 ^如来はこの上ない慈悲の心で迷いの世界をお哀れみになる。 世にお出ましになるわけは、 仏の教えを説き述べて人々を救い、 まことの利益を恵みたいとお考えになるからである。 ^このような仏のお出ましに合うことは、 はかり知れない長い時を経てもなかなか難しいのであって、 ちょうど*
^阿難よ、 知るがよい。 如来のさとりは、 はかり知れない尊い智慧をそなえ、 人々を限りなく導くのである。 その智慧は実に自在であり、 何ものにもさまたげられない。 ^わずか一度の食事によって限りない寿命をおたもちになり、 しかも喜びに満ちあふれ、 お姿も清らかで、 輝かしいお顔も気高く、 少しもお変わりにならない。 ^なぜなら如来は禅定と智慧をどこまでもきわめ尽し、 すべてを思いのままにする力を得ておいでになるからである。 ^阿難よ、 わたしはこれからそなたのために詳しく説くから、 よく聞くがよい」
^阿難はお答えした。
「はい、 喜んで聞かせていただきます」
【4】 ^釈尊は阿難に仰せになった。
「今よりはかり知ることのできないはるかな昔に、 1*
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