大無量寿経 下巻


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  • 概要: 曹魏の天竺三蔵康僧鎧訳す【22】^釈尊が阿難に仰せになった。 「※さて、 無量寿仏の国に生れる人々はみな*正定しょうじょう聚じゅに入る

    曹魏の天竺三蔵康僧鎧訳す

    【22】^釈尊が阿難に仰せになった。

     「さて、 無量寿仏の国に生れる人々はみな*正定しょうじょうじゅに入る。 なぜなら、 その国に*じゃじょうじゅや*じょうじゅのものはいないからである。 ^すべての世界の数限りない仏がたは、 みな同じく無量寿仏のはかり知ることのできないすぐれた功徳をほめたたえておいでになる。 ^無量寿仏の名を聞いて信じ喜び、 わずか一回でも仏を念じて、 心からその功徳をもって無量寿仏の国に生れたいと願う人々は、 みな往生することができ、 *退転たいてんの位に至るのである。 ただし、 *ぎゃくの罪を犯したり、 仏の教えを謗るものだけは除かれる」

    【23】^また阿難に仰せになる。

     「すべての世界の天人や人々で、 心から無量寿仏の国に生れたいと願うものに、 大きく分けて上輩・中輩・下輩の三種がある。 ^まず上輩のものについていうと、 家を捨て欲を離れて修行者となり、 さとりを求める心を起して、 ただひたすら無量寿仏を念じ、 さまざまな功徳を積んで、 その国に生れたいと願うのである。 ^このものたちが命を終えようとするとき、 無量寿仏は多くの聖者たちとともにその人の前に現れてくださる。 ^そして無量寿仏にしたがってその国に往生すると、 七つの宝でできた蓮の花におのずから生れて不退転の位に至り、 智慧がたいへんすぐれ、 自由自在な*神通じんずうりきを持つ身となるのである。 ^だから阿難よ、 この世で無量寿仏を見たてまつりたいと思うものは、 この上ないさとりを求める心を起し、 功徳を積んでその仏の国に生れたいと願うがよい」

    【24】^釈尊が続けて仰せになる。

     「次に中輩のものについていうと、 すべての世界の天人や人々で、 心から無量寿仏の国に生れたいと願うものがいて、 上輩のもののように修行者となって大いに功徳を積むことができないとしても、 ^この上ないさとりを求める心を起し、 ただひたすら無量寿仏を念じるのである。 ^そして善い行いをし、 *八斎はっさいかいを守り、 堂や塔をたて、 仏像をつくり、 修行者に食べものを供養し、 天蓋をかけ、 灯明を献じ、 *さんや焼香をして、 それらの功徳をもってその国に生れたいと願うのである。 ^このものが命を終えようとするとき、 無量寿仏は*しんのお姿を現してくださる。 その身は光明もお姿もすべて*報身ほうじんそのままであり、 多くの聖者たちとともにその人の前に現れてくださるのである。 そこでその化身の仏にしたがってその国に往生し、 不退転の位に至り、 上輩のものに次ぐ功徳や智慧を得るのである。

    【25】^さらに続けて仰せになる。

     「次に下輩のものについていうと、 すべての世界の天人や人々で、 心から無量寿仏の国に生れたいと願うものがいて、 たとえさまざまな功徳を積むことができないとしても、 ^この上ないさとりを求める心を起し、 ひたすら心を一つにしてわずか十回ほどでも無量寿仏を念じて、 その国に生れたいと願うのである。 ^もし奥深い教えを聞いて喜んで心から信じ、 疑いの心を起さず、 わずか一回でも無量寿仏を念じ、 まことの心をもってその国に生れたいと願うなら、 ^命を終えようとするとき、 このものは夢に見るかのように無量寿仏を仰ぎ見て、 その国に往生することができ、 中輩のものに次ぐ功徳や智慧を得るのである」

    【26】^釈尊が阿難に仰せになった。

     「無量寿仏の大いなる徳はこの上なくすぐれており、 すべての世界の数限りない仏がたは、 残らずこの仏をほめたたえておいでになる。 ^そのため、 ガンジス河の砂の数ほどもある東の仏がたの国々から、 数限りない菩薩たちがみな無量寿仏のおそばへ往き、 その仏を敬って供養するのであって、 その供養は菩薩や*しょうもんなどの聖者たちにまで及んでいる。 そうして教えをお聞きして、 人々にその教えを説きひろめるのである。 南・西・北・東南・西南・西北・東北・上・下のそれぞれにある国々の菩薩たちも、 また同様である」

    【27】^そこで釈尊は、 そのことを次のように重ねてお説きになった。

    ^東の仏がたの国はガンジス河の砂の数ほどに多いが、

    ^その国々の菩薩たちは、 無量寿仏の国に往き仏を仰ぎ見る。

    ^南・西・北・東南・西南・西北・東北・上・下のそれぞれにある国々もまた同様であり、

    ^それらの国の菩薩たちも、 無量寿仏の国に往き仏を仰ぎ見るのである。

    ^菩薩はみなそれぞれに、 うるわしい花と

    ^かぐわしい香と最上の衣をささげて、 無量寿仏を供養したてまつる。

    ^みなともに美しい音楽を奏で、 みやびやかな音色を響かせ、

    ^すぐれた徳をうたいたたえて、 次のように無量寿仏を供養したてまつる。

    ^「実にみ仏は神通力と智慧をきわめ尽し、 深い教えの門に入り、

    ^すべての功徳をそなえ、 そのすばらしい智慧は並ぶものがありません。

    ^その智慧の光明は世を照らし、 迷いの雲を除いてくださいます」 と。

    ^うやうやしく三度右まわりにめぐって、 伏してこの上なく尊いこの仏を礼拝したてまつる。

    ^この国は清らかで、 思いはかることもできないほどすばらしいことを知り、

    ^菩薩はこの上ないさとりを求める心を起し、 自分の国もこのようにありたいと願う。

    ^そのとき無量寿仏はにっこりとほほえまれ、

    ^口から無数の光を放って、 ひろくすべての国々をお照らしになる。

    ^もどってきた光は仏のお体を三度めぐって、 その頭におさまり、

    ^すべての天人や人々はこれを見て、 みなおどりあがって喜ぶのである。

    ^そこで観世音菩薩は服装を正し、 伏して礼拝して問う。

    ^「み仏がほほえまれたのは、 どのような理由からでしょうか。 どうぞ、 そのお心をお説き下さい」 と。

    ^仏は雷鳴がとどろくように、 すぐれた徳をそなえた声でお述べになる。

    ^「今、 ここにいる菩薩たちが未来にさとりを得ることを約束しよう。 これからそのことを説くから、 よく聞くがよい。

    ^わたしはさまざまな国から来た菩薩の願をすべて知っている。

    ^菩薩たちは清らかな国をつくりたいと志して、 その願の通りに必ず仏になることができる。

    ^すべてのものは夢や幻やこだまのようであるとさとりながらも、

    ^さまざまなすばらしい願を満たして、 必ずこのような国をつくることができるのである。

    ^すべては、 稲妻や幻影のようであると知りながらも、 菩薩の道をきわめ尽し、

    ^さまざまな功徳を積んで、 必ず仏になることができる。

    ^すべてみな、 その本性は*くう無我むがであると見とおしながらも、

    ^ひたすら清らかな国を求めて、 必ずこのような国をつくることができるのである」 と。

    ^仏がたは自分の国の菩薩たちに、 無量寿仏を仰ぎ見るよう、 次のようにお勧めになる。

    ^「この仏の教えを聞き、 求めて修行し、 速やかに清らかな世界を得るがよい。

    ^無量寿仏の清らかな国に往ったなら、 すぐさま神通力を得て、

    ^無量寿仏によって仏となることが約束され、 必ずさとりを得ることができるのである。

    ^この仏の本願の力により、 仏の名を聞いて往生を願うものは、

    ^残らずみなその国に往き、 おのずから不退転の位に至る。

    ^そこで菩薩はすぐれた願をたて、 自分の国もこの国に異なることがないようにと願い、

    ^ひろくすべてのものを救いたいと思い、 その名をすべての世界にあらわしたいと望む。

    ^そして数限りない如来に仕えるため、 神通力によりさまざまな国へ往き、

    ^如来を敬い、 喜びを得て、 無量寿仏の国に帰るのである。

    ^もし人が功徳を積んでいなければ、 この教えを聞くことはできない。

    ^清らかに戒を守ったものこそ正しい教えを聞くことができる。

    ^以前に仏を仰ぎ見たものは、 無量寿仏の本願を信じ、

    ^うやうやしく教えを尊び、 仰せのままに修行して喜びが満ちあふれるに至る。

    ^おごり高ぶり、 誤った考えを持ち、 なまけ心のある人々は、 この教えを信じることができない。

    ^過去世に仏がたを仰ぎ見たものは、 喜んでこの教えを聞くことができる。

    ^声聞や菩薩でさえも、 仏の心を知りきわめることはできない。

    ^まるで生まれながらに目の見えない人が、 人を導こうとするようなものである。

    ^如来の智慧の大海は、 とても深く広く果てしなく、

    ^声聞や菩薩でさえも思いはかることはできない。 ただ仏だけがお知りになることができる。

    ^たとえすべての人々が、 残らずみな道をきわめて、

    ^清らかな智慧ですべては*くうであると知り、 限りなく長い時をかけて仏の智慧を思いはかり、

    ^力の限り説き明かし、 寿命の限りを尽したとしても、

    ^仏の智慧は限りなく、 このように清らかであることを、 やはり知ることができない。

    ^そもそも人として生れることは難しく、 仏のお出ましになる世に生れることもまた難しい。

    ^その中で信心の智慧を得ることはさらに難しい。 もし教えを聞くことができたなら、 努め励んでさとりを求めるがよい。

    ^教えを聞いてよく心にとどめ、 仏を仰いで信じ喜ぶものこそ

    ^わたしのまことの善き友である。 だからさとりを求める心を起すがよい。

    ^たとえ世界中が火の海になったとしても、 ひるまず進み、 教えを聞くがよい。

    ^そうすれば必ず仏のさとりを完成して、 ひろく迷いの人々を救うであろう」 と。

    【28】^釈尊が阿難に仰せになった。

     「その国の菩薩たちは、 みな*いっしょうしょの位に至ることができる。 ただし、 その菩薩の願によっては、 人々のために尊い誓願の功徳を身にそなえて、 その位につかないでひろくすべての人々を救うこともできる。

     ^阿難よ、 その国の声聞たちが身から放つ光は*一じんであるが、 菩薩の放つ光は百*じゅんを照らす。 ^中でもふたりの菩薩がもっともすぐれていて、 その神々しい光はひろく世界中を照らすのである」

     ^ここで阿難が釈尊にお尋ねした。

     「そのふたりの菩薩は何というお名前なのでしょうか」

     ^釈尊が仰せになる。

     「ひとりをかん

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