譬喩品第三
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概要: 譬喩品(ひゆほん )第三 そのとき、舎利弗(しゃりほつ)は歓喜し、立ち上がって合掌し、そして 釈尊に言った。 「いままで私は、独
譬喩品 第三
そのとき、舎利弗は歓喜し、立ち上がって合掌し、そして
釈尊に言った。
「いままで私は、独り山林や樹下に座し、あるいは経行し、
修行を重ねて、悟りの境地に達したと思っていましたが、
他の菩薩たちが授記されるのを見るにつけ、もしかして世尊はわれらに、
劣った乗物すなわち小乗の法を説いて、われらはそれを修行しているの
ではないか、との疑念がありました。今はじめて、世尊はわれらを
阿耨多羅三藐三菩提
へ導く方便として、われらに説かれたのだと知りました。今は一切の疑念は消えました。世尊のこの法を聞いて、
本当の阿羅漢になった気がします。本当の仏の子になったのです」
それを聞いて釈尊は、舎利弗に語った。
「舎利弗よ、お前は未来世において、人が計ることも考えることもできない限りなく遠い未来において、幾千万億の諸仏に仕え、
菩薩のなすべきことを終えて、華光如来となるであろう。その国は
離垢という。国土は平らで、食物に恵まれ、樹木は茂り、七宝の花が咲き、
豊かで、美しい。土は瑠璃で輝いている。そこで華光如来は、やはり過去の如来のように、方便として三種の乗物すなわち
三乗の法を説いているであろう。その時代は大宝荘厳といわれる。なぜなら
そこでは菩薩が国の宝であり、すばらしい菩薩たちが数限りなくいるからだ。華光如来の命は十二小劫
という無量の長きにわたり、そこに住む人々の命も八小劫を数えるであろう。華光如来の入滅の後、
正法は三十二小劫続き、像法も三十二小劫続くだろう。」
そこにいたすべてのものたちは、舎利弗が阿耨多羅三藐三菩提の記を受けるのを見て歓喜し、上衣を脱いで釈尊に捧げた。
帝釈天や梵天王は天子の衣や天の花の曼陀羅華をもって供養した。
虚空には、散ぜられた天衣がたゆたい、楽の音が響きわたった。
会衆のなかから賞賛の声が聞こえた。
「世尊は、バーラーナシー国の鹿野苑で五人の比丘に
初めて法を説かれ、今ここマガダ国の霊鷲山
で無上の大法輪を転じられた」
そのとき、舎利弗は釈尊に言った。
「ここにいる千二百人の阿羅漢たちは世尊の教えの通り修行を重ね、生・老・病・死を離れて、悟りを得たと思っております。
しかし今、いまだかって聞いたことのない世尊の法を聴いて、動揺しております。どうか皆の疑惑をはらしてください」
釈尊は、舎利弗に語った。
「それでは舎利弗よ、ひとつたとえ話をしよう。智のある人は、たとえ話で意味を悟るからだ。ある国のある処に、無量の資産を
持つ大長者がいたとしよう。長者の家は広く大きく、使用人は五百人を数え、子どもも二十人いたとしよう。なかには質の悪い動物や
夜叉も沢山巣くっていて、ときに殺し合いをしていた。家は古かったので、柱は朽ち、土壁は崩れ、軒も傾いていた。
そして、門は一箇所しかなかったと思いなさい。あるときこの家が火事になった。火は四方から一気に家中を包んだ。中には子供たちが
いる。火事に気付かず、災禍が迫っているのに、それすら知らずに遊んでいるとしよう。長者はどのようにして
子供たちを外に連れ出したらいいのか、とっさにあれこれ思案した。自分にはまだ十分の体力と腕力があり、自分の力をもってすれば
子供たちを全員を抱きかかえて外に飛び出すこともできる、と考えた。さらに別の考えが浮かんだ、門は一つしかなくしかも狭い、このままでは
逃げ場もなく子供たちは焼け死んでしまうだろう、この恐怖の思いを子供たちに伝えて逃げ出させよう。長者は大声をあげて家の中の
子供たちに呼びかけ、危険が迫っていると叫んだが、子供たちは本当にせず、その意味も理解できず、誰も出てくるものはいない。
そこで長者は一計を案じた、
そうだ方便を使って子供たちを外に連れ出すことができるかもしれない。というのも長者は、子供たちの性格や好みをよく知っていた
からである。子供たちは新奇なものが大好きだったのである。そこで長者は言った、『珍しいものがあるぞ、門の外に出てきなさい、
山羊の車、鹿の車、牛の車がここにあるぞ。すぐ出てくれば、お前たちの
好きな車をあげよう』これを聞くと、子供たちは先を争って、炎で崩れそうな家から、
門の外に次々と出てきた。長者は四辻の露地で待っていたが、子供たちが皆無事に火宅を逃れたのを見て、安心し喜んだ。
子供たちは長者の処へ来ると、口々にそれぞれの車をくれるようにお願いした。
舎利弗よ、このとき長者はこのように思った。『私の資産に限りはないから、子供たちに劣った小さな車を与えるべきではない。 子供たちは皆可愛いい我が子である。差別せず等しく七宝で飾られた最高の車をあげよう』
こうして子供たちは、等しく立派な牛車が与えられた。車高がたかく、様々な宝石で飾られ、欄干を周囲に廻らし、四面に鈴が ついている。天蓋があって、珍しい宝玉で飾りつけられている。金糸の綱には沢山の花房がついており、 敷物は上質の布を重ねて敷かれ、赤い枕が添えられている。 大勢の侍者がつき、白い大きな牛が引いている。牛の肌は滑らかで、姿は美しく、筋力があり、堂々として歩き、風のように速く走る。 それは見事な牛車であった。こうして子供たちははからずも、望んだ以上の贈り物をもらったのである。 舎利弗よ、お前はどう思うか。この長者は子供たちに嘘をついたことになるだろうか」
舎利弗は、釈尊に答えた。
「いいえ、そうではありません。長者は子供たちの命を救ったのです。初めから方便をもって子供たちを火宅から救い出そう、
と考えてやったことですから、嘘をついたことにはならないと思います。そして子供たちは見事な牛車を賜ったのですから」
釈尊は、舎利弗に語った。
「そうだ、お前の言う通りだ、舎利弗よ。そして如来も全くこの通りなのだ。朽ちた家は
三界である。長者には十分な体力と
腕力とがあったが、その力を使わなかったように、如来もまた神力や智力を使わず、方便をもって衆生を救うのである。
如来がその知見を直接に使えば、衆生は三界の火宅のなかにいるために、それを理解することができないであろう。
それゆえに如来は方便をもって、声聞乗、
辟支仏乗、
菩薩乗の三乗を説くのである。声聞乗は、諸仏より法を聴いて精進し、
三界を抜け出さんとするのであり、山羊の車にあたるだろう。
辟支仏乗は、諸仏の教えに会うことなく、独り修行して縁起の法を知り、自ら火宅を抜け出さんとするのであり、鹿の車にあたるだろう。
菩薩乗は、諸仏より法を聴いて修行を重ねるが、衆生の有様を憐れみ衆生に利益をもたらそうとして精進するのであり、牛の車にあたる
だろう。この世界はすべて如来のものであり、如来は父であり、衆生は子である。三界は火宅である。どうして子に劣った車を与えるだろう。長者のように、
初めは三車で導き、最後は七宝で飾られた最高の車を与えるのである。すなわち
大乗である。このように諸仏は方便により、
一仏乗を説くために、三乗をもってするのである。
すべて衆生を阿耨多羅三藐三菩提に導くためである」
釈尊はこのように語ると、重ねてこの意味を伝えようとして、詩句をもって唱えた。その詩句のなかで釈尊は激しい調子で
語るのである。
「舎利弗よ、この教えを人と非人とすべてのものたちに宣べ伝えよ。最後の時にあたって説いたこの法こそが、最高の
教えである。如来は衆生を安んじ、世間を利するために現われたのである。お前の説くところを信じるものは、かって
我と汝
と諸々の菩薩とを見たのである。この経は信じて初めて理解できるのであり、
凡夫の知恵で分かるのではない。この経を信ぜず、疑い、謗るものは、現世においても転生しても、語りつくせない様々な報いを受ける
であろう。そのものたちは、阿鼻地獄に堕ちる、地獄から畜生界に堕ちる、犬や狐となって打擲
される、駱駝や驢馬になって鞭打たれる、
奇怪な蛇になって虫に食われる。もし転生して人になるなら、地獄に堕ちて盲になり、聾唖になり、白痴になり、様々な病に罹り、
身体から悪臭を放つだろう。我執に囚われ、情欲がつよく獣と交わるだろう。それゆえ、この経は智あるものに説け、浅識
のものには説くな。
この経は菩提心をもった人びとのなかで、学識のある人に説け、信厚き人に説け、人のために身命を惜しまない人に説け、凡愚を
離れて山林に住する人に説け、悪友を遠ざけ善友と親しむ人に説け、戒を守り真にこの経典を求める人に説け、怒らず柔和な人に説け、
自在に法を説ける人に説け、大乗の経典のみを求める人に説け、
六師外道を求めぬ人に説け。このような菩薩たちはよく信じ、
よく理解するからである」
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