五台山
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概要: 中国の四大霊場のひとつ。■東西南北中の五つの台状の峰から、五台山と呼ばれます。■最盛期は約300のお寺がありました。今も50ヶ寺くらい
中国の四大霊場のひとつ。 ■東西南北中の五つの台状の峰から、五台山と呼ばれます。 ■最盛期は約300のお寺がありました。今も50ヶ寺くらい残っています。 ■文殊菩薩の住む清涼山にあたると信じられ、清涼山とも呼ばれます。 |
五台東台=望海峰西台=挂月峰南台=錦綉峰北台=葉頭峰中台=翠岩峰北台が最高峰で3058m
| 五台山ごだいさん峨眉山がびさん天台山 あるいは 五台山、峨眉山、普陀山、九華山きゅうかざんで四大霊場といいます。 五台山は文殊菩薩、峨眉山は普賢菩薩、九華山はお地蔵様、普陀山は観音様の住む聖地とされています。 五台山の五台とは5つの平らな峰という意味です。円仁の記録には「銅のお盆を逆さにしたようである」と表現されています。 五台山には、中国内外から、たくさんの高僧と呼ばれる人たちが訪れています。唐や宋の時代は、庶民信仰の中心地でもあり、巡礼者のために普通院と呼ばれる無料宿泊所がありました。 普通院は五台山への巡礼路に、適当な距離をおいて設置されていました。巡礼者を世話する係りの人もいて、巡礼者ならば誰でも利用できる無料施設です。経費は信者の喜捨によってまかなわれていたようです。したがって、食料が無いときは食事が出ず、休憩と宿泊だけになりました。100人位泊まれる施設もあったようです。 平安~鎌倉時代にかけて、中国に渡った僧侶は、五台山と天台山をよく訪れています。天台宗の僧侶、円仁もここで勉強しました。帰国後、五台山で見た文殊菩薩堂をお手本として、比叡山に文殊楼を建てました。根本中堂の東側にある、門のような建物です。現在のものは1668に再建されたものです。 円仁が残した約10年におよぶ詳細な旅行記録です。この中に五台山の様子が詳しく記録されています。 地理、経済、風俗、行事、制度など、さまざまなことが記録されているので、玄奘げんじようの大唐西域記、マルコ・ポーロの東方見聞録と並ぶ、東アジアの三大旅行記といわれています。 |
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